前回は「真珠湾攻撃出撃を命じた山本長官〜野村と来栖の「無駄な交渉」・「天皇=大元帥」と大日本帝国政府と大本営・決定と実行の間の乖離〜」の話でした。
全てが「異様なまでに順調」だった南雲機動部隊の真珠湾行き

日米交渉が緊張の度合いを増して、すでに「破綻していた」1941年11月末。

我が第一航空艦隊は、
単冠湾に集結!
当時、大日本帝国領だった樺太の単冠湾に第一航空艦隊が集結していました。
この時点で「ハワイ真珠湾奇襲攻撃」を知っていたのは、司令官・艦長・飛行長など限られていました。



米国に勝つのは
不可能だが・・・



米国と戦争をするならば、
「勝つ状況」を作り出す責任がある・・・
「米国通」を超えて「親米派」であった山本長官は、日独伊三国同盟にずっと大反対でした。
役職 | 権限 |
海軍大臣 | 軍政(人事・兵站など) |
軍令部総長 | 軍令(作戦指揮) |
連合艦隊司令長官 | 前線の作戦指揮 |
軍政側の海軍省に長く勤め、海軍次官になった山本長官は、「海軍大臣になるべき」人物でした。
ところが、時代の過渡期に最前線の連合艦隊司令長官となった山本五十六。



何が何でも、米海軍に
緒戦で大打撃を!
そして、「連合艦隊へ命令を下す」軍令部に対して、真珠湾奇襲攻撃を強行した山本長官。
もはや、山本長官が「軍令部総長を兼ねている」ような、異常な状況でした。


そして、ついに「運命の電文」を受け取った南雲忠一 第一航空艦隊司令長官。



いよいよ、
だな・・・



私もおりますから、
大丈夫ですよ!
もはや「賽の目は投げられた」状況となった、空前絶後の空母六隻の大艦隊は真珠湾目指しました。


1941年12月2日に、「新高山登レ」の電文受信後、ヒタヒタと真珠湾に迫る南雲機動部隊。
全てが「異様なまでに順調」でした。
「帝国海軍の内情」を全て把握していた米国:「死中に活」を





Japanは、我がUnited Statesを
攻撃するだろう・・・
ダラダラと無意味な日米交渉を、「真面目に」続けているように見せていた米国。



そろそろ、Japanの
陸海軍が、我が国を攻撃しますな・・・



まずは、我が領土であり、
Japanに近いPhillipineは、やられるな・・・





Phillipineには、
このMacArthur様がいるから大丈夫だ!
この頃、フィリピンで、米極東司令官だったのは、あのマッカーサーでした。
若い頃から、成績優秀で、第一次世界大戦でも活躍して多数の勲章を得ていたマッカーサー。
「陸軍随一」とも言われる能力とともに、「陸軍筆頭」の自信家でした。


そして、大日本帝国海軍軍令部長に相当する立場だった、米海軍のスターク海軍作戦総長。
英語の役職名から、海軍作戦「部長」と称されることが多いですが、「総長」と呼びたいと考えます。



まずは、真珠湾の
米空母を退避させる!
米国では、ずっと以前から「大日本帝国海軍の真珠湾攻撃」を想定していました。



まあ、Japanの海軍如きが、
Hawaiiに来たところで・・・



大した攻撃は
出来んだろうが、念を入れる!
当時、国力が10倍以上の開きがあった、大日本帝国と米国。
米国陸海軍の帝国陸海軍に対する視線は、全体的に「超上から目線」でした。
それもまた、やむを得ない状況であり、米国は圧倒的な力を持っていたのが事実でした。


そもそも、当時は世界の原油生産量の70%程度を握っていた米国。
対して、原油生産量が「事実上ゼロ」であった大日本帝国。
「油がなければただの鉄の塊」と言われる、多数の戦艦・空母などの艦隊を有する帝国海軍は、



米国から原油の禁輸を
受けて、備蓄量は二年ほど・・・



今、今、米国と開戦しなければ、
どんどんジリ貧になってしまう・・・
この「帝国海軍の内情」を全て把握していた米国。



まずは、Japanは南方資源地帯の
獲得を目指すはず・・・



それ以外に、Japanの初期の作戦は
考えようがない・・・
そもそも、「持てるもの=米国」と「持たざるもの=大日本帝国」の争いだった日米戦争。
「資源が唸るほどある」米国と戦争する道。
「資源が事実上ない」大日本帝国は、この「死中に活を求める」を選ぶしかありませんでした。
そして、運命の1941年12月8日を迎えることになります。