前回は「対米戦に「突入するしかなかった」切り札ハル・ノート〜「強力な味方」を望んだ超強気なヒトラー・対日戦を「決定していた」米国〜」の話でした。
「天皇=大元帥」と大日本帝国政府と大本営:決定と実行の間の乖離

諸説ありますが、後年の歴史を考えると、どう考えても「米国主導で決定した」のが日米戦争です。
1941年10月18日の、真珠湾奇襲攻撃直前に「内閣が代わる」という異常事態となった大日本帝国。
当時の主要な勢力図が「日独伊vs米英ソ中」の七カ国と考えると、極めて異例でした。
「風雲急を告げる」どころではなく、「風雲が開始している」状況で、国家のトップが代わる事態は。

一方で、当時の大日本帝国政府と大本営の権限や役割を考えると「トップは固定」とも言えます。

大日本帝国の最高意思決定者は、名実ともに昭和天皇でありました。
そして、「天皇=大元帥」という「二つの顔」を持つ昭和天皇。
その昭和天皇を「輔弼する」のが、首相、参謀総長、軍令部総長などの役割でした。

「最高意思決定機関」であった御前会議においては、昭和天皇は基本的に「聞くだけ」でした。
一方で、様々な記録において、昭和天皇が参謀総長や軍令部総長を叱責しているのが現実です。
この点から、昭和天皇は「第二次世界大戦に関与していた」のは明白な事実であります。
一方で、「昭和天皇の決定」に対して、大日本政府と軍部が「具体的に実施していた」のが現実でした。
この「決定と実施」の間に乖離があるのが、大日本帝国の大きな特徴でした。

これまでの決定は
白紙とし・・・



対米融和に
務めよ!



ははっ!
そのように致します!
1941年10月18日に「新首相」となった東條英機は、昭和天皇の「極めて忠実な重臣」でした。



Japanが今更、
何を言おうが、Japanとの戦争は決定済み!
ところが、米国はすでに英国・中国などからの支援要請もあり「対日戦を決定していた」のでした。



Japanの皆さん、
これが我がUSの意思です・・・
そして、ハル長官は、日本に対して「事実上の最後通牒」であるハル・ノートを交付しました。
1941年11月26日のことでした。
真珠湾攻撃出撃を命じた山本長官:野村と来栖の「無駄な交渉」


米国側から見れば「既に決定事項であった」日米戦争ですが、大日本帝国も腹を決めていました。



米国には
勝てん!
米国の駐在経験豊富で、米国の底力を知っていた山本五十六長官。
海軍次官など務め、海軍省にいる経験が長かった山本は連合艦隊司令長官に就任しました。
その就任日は、「第二次世界大戦勃発と同日」の1939年9月1日でした。



我が帝国海軍の前線を預かる
連合艦隊司令長官だ!
「対米戦反対派」の急先鋒だった山本五十六は、



米国と戦争となると、
勝たねばならん!
「米海軍に勝つ作戦指揮」の最前線最高指揮官となりました。



緒戦で米海軍に大打撃を
与えねば・・・



そうせねば、米国の圧倒的な
国力に、我が国は潰されてしまう・・・



それには、米海軍の太平洋基地である
真珠湾を奇襲攻撃しかない!
そして、真珠湾奇襲攻撃を「強力に推進」ではなく、「強硬に推進」した山本。
そして、ハル・ノート前後も真珠湾奇襲攻撃直前まで、日米交渉は継続されていました。



なんとか、
米国との戦争は避けたいが・・・
海軍の中でも良識派であり、山本長官とも良好な関係であった野村吉三郎 海軍大将。
帝国海軍出身の野村は、その良識を買われて、阿部内閣では短期間ながら外相を務めました。
そして、1941年1月に米国大使として、大日本帝国政府の「対米代表者」となりました。



このNomuraは、なかなか
まともな人物だが・・・



Nomuraの英語力は
低すぎて、交渉にならない・・・



英語なら、私は
得意です・・・



Kurusuの英語力は
買うが、彼はHitlerと親密な人物・・・



どちらも、我がUSの
交渉相手には、ならない・・・
ハル長官から見れば、野村も来栖も「米国の交渉相手に相応しくない」人物でした。
米国の深謀は別としても、「野村と来栖」のセットでは「無駄な交渉」でした。





対米戦は出来るだけ
回避したいが・・・



やれるだけのことは
やるしかないな!
この中、山本長官は重大な決断をしました。



第一航空艦隊に
告ぐ!



はっ!



択捉島の単冠湾に
機動部隊を集結させ、出撃準備を整えよ!
機動部隊は、択捉島の単冠湾に集結しました。



単冠湾に、大層な
部隊が集結したな・・・



アリューシャンでも
攻撃するのか?
この時は、司令官・艦長などの大幹部にしか「真珠湾奇襲攻撃」は知らされていませんでした。
そして、いよいよ日米交渉が行き詰まってきた1941年11月20日、山本長官は指令を下しました。



第一航空艦隊は、11月26日に
ハワイ真珠湾目指して、出撃せよ!



はっ!



ただし、日米交渉は継続中なので、
交渉妥結の際には、ひっ返せ!



はっ!
「日米交渉妥結の際は引き返す」約束を、山本長官は南雲長官と交わしましたが、



現実的には、日米交渉妥結は
難しい・・・
山本長官は「もはや無理」であることを十分認識していたでしょう。
そして、第一航空艦隊出撃と同日に訪れたハル・ノート。



もはや、これは
やるしかないな・・・
山本長官は「腹を括った」でしょう。





新高山登れ
一二〇八!



はっ!
承知しました!
そして、「持たざる国」であった大日本帝国は「持てる国」米国との戦争に踏み切りました。



そろそろ
Japanは、我が国を攻撃してくるな・・・
ハル・ノートで「ゼロ回答以下」と言うよりも「究極の回答」をしたルーズベルト大統領。
米国は、大日本帝国の動きをじっと見つめていました。