前回は「最も好戦的だった山本長官の真意〜第二次世界大戦勃発と同時期の就任・山本連合艦隊司令長官をゴリ押しした米内光政〜」の話でした。
「強力な味方」を望んだ超強気なヒトラー:対日戦を「決定していた」米国


そろそろ、
いよいよJapanと戦争だな・・・



はい・・・間もなく
Japanは、我がUnited Statesに宣戦布告するでしょう・・・
1940年頃から急速に悪化していた日米関係。
そして、1941年初頭から、日本国内では「対米戦開始の是非」がずっと議論されていました。
対して、すでに米国は、対日戦を準備し、第二次世界大戦参戦の体制を整えつつありました。


欧州で第二次世界大戦が勃発した1939年9月1日以降、欧州ではドイツが猛烈な勢いでした。
その後、日独伊三国同盟がずっと協議継続となっていました。
日本では「日独伊三国同盟」と「日本が最初」にきますが、内実は「独日-伊三国同盟」でした。
つまり、トップはドイツであり、「ドイツと日本が同盟して、さらにイタリアが合体」が実情でした。


当時、イタリアは欧州の大国でしたが、軍事力では日独にはるかに劣る存在であり、



我がGermanyは
United Kigdom、Franceと敵対する・・・



すると、United Statesとも
敵対せざるを得ない・・・



Soviet Unionとの関係も
問題だが・・・



やはり、強力な
味方がもう少し欲しい・・・
のちに、独ソ不可侵条約を一方的に破棄するヒトラー。
「超強気」を絵に描いたような人物でしたが、「強力な味方が欲しい」のは当然の発想でした。



すると、Asiaの
Japanだな・・・
「強力な国家」から米国・英国・フランス・ソ連を除くと、当時は大日本帝国しか残りませんでした。



よし!
防共協定締結したJapanと同盟だ!
こうして、日本との同盟を強力に推進したドイツのヒトラー。
対米戦に「突入するしかなかった」切り札ハル・ノート





私たちも
ドイツとぜひ同盟締結したいです!
帝国陸軍が主導する形で、ドイツと大日本帝国の軍事同盟が急速に現実味を帯びました。



Japanと組めば、
UKやUSを倒す可能性があるな!
欧州を席巻していたとはいえ、米国との戦いは「現実的にかなり苦しい」ことを知っていたヒトラー。



我がItalyも
その同盟に乗りましょう!
そして、「独日+伊」の構図が定まってきて、



JapanとItalyと
三国同盟だ!
ヒトラーは、「独日伊」三国同盟を協力推進しました。
ところが、「同盟締結」の方針が決まれば「一日も早く締結」が望ましいのに、



遅い・・・
Japanの意思決定は、なぜこんなにSlowなのだ・・・
今も昔も、日本の政治の意思決定は、信じられないほどスローでした。
さらに、当時のヒトラーなどの独裁者にとっては、



私がOKすれば、
それが直ちに国策となる・・・



なぜ、Konoeは
こんなに決断が遅い・・・
日本の内閣総理大臣の権限が極めて限られていたことを、ヒトラーは知っていたと思われます。



JapanのEmperorが
早く決断してくれないか・・・
「締結するなら早いほうが良い」同盟は、戦争中ならば尚更でした。


長い長い交渉を経て、ようやく1940年9月27日に日独伊三国同盟締結となりました。
締結の場は、もちろん「中心であるドイツ」でしたが、ヒトラーが憮然としているように見られます。



やっと、やっと、
三国同盟締結になったか・・・



なぜ、こんなに
時間がかかったんだ・・・
おそらく「長すぎた協議」に対して、ヒトラーは、かなり苛立っていたのでしょう。



JapanがHitlerと
組んで、もう一年以上だな・・・
米国から見れば、「この時点で対日戦が決定した」のが現実でした。
日本国内では、



ドイツと組めば、
米国を抑制できるのでは・・・
ドイツと組むことで、「米国の勢いを抑制する」ことを本気で考えている人物・勢力がいましたが、



Hitlerは、
我がUnited StatesやEuropeの敵!
米国側の視点から見れば「人類の敵」であったヒトラーと組んだ以上、戦争は不可避でした。
この日独伊三国同盟締結から1年3ヶ月ほど経過した1941年12月。
日本国内では、「すでに米国側が対日戦を決定」しているのに対し、



米国の「中国からの撤退」などの要求は
絶対に呑めん!



米国と戦って勝つのは
極めて難しいが・・・



半年や一年の間は
暴れてみせて・・・



有利な講和に持って
ゆくのだ!
ここで、東條英機大臣であり、東條率いる陸軍は「対米戦OK」でした。
一方で、海軍の最終意思決定者は山本長官ではありませんでした。
組織 | 職務 | ||
海軍大臣 | 軍政・人事のトップ | ||
軍令部総長 | 軍令のトップ | ||
連合艦隊司令長官 | 最前線の帝国海軍戦闘部隊トップ |
連合艦隊は、最前線の帝国海軍戦闘部隊であり、山本長官の権限は非常に限定されていました。
政府側の海軍大臣と、軍の軍令部総長の「どちらが海軍の統括者か」は微妙です。
当時の機構を考えると、軍の方が強そうですが、「海軍トップは海軍大臣」と言って良いでしょう。





我が海軍の姿勢は、
「総理に一任」です・・・
ところが、何度「海軍の真意」を尋ねられても「総理一任」で逃げた及川海軍大臣。
陸海軍で「統一した見解」がなく、総理に決定権がなく、天皇は和平を望んでいる状況でした。



米国の要望は呑めんが、
天皇陛下は和平を望んでおられる・・・
このように、なかなか日本側が「米国との戦争を決定しない」中、ハル長官は切り札を出しました。



Japanの皆さん、
これが我がUSの意思です・・・
「ハル・ノート」を切り札として出してきたハル長官。



これで、Japanは
我が国と戦争せざるを得まい・・・
この文書は、大日本帝国が「対米戦に踏み切らざるを得ない」内容だったのでした。
次回は上記リンクです。