最も好戦的だった山本長官の真意〜第二次世界大戦勃発と同時期の就任・山本連合艦隊司令長官をゴリ押しした米内光政〜|リメンバー・パール・ハーバー37・真珠湾奇襲攻撃

前回は「山本長官が強行した「迎撃ポリシー」からの脱却〜「打って出る」奇襲・日本海海戦の大勝利の影・帝国海軍の「日本近海迎撃作戦」〜」の話でした。

目次

山本連合艦隊司令長官をゴリ押しした米内光政

新地球紀行
Adolf Hitler独総統(Wikipedia)
Hitler

全Europeを
我が手に!

欧州で第二次世界大戦が勃発したのが、1939年9月1日のことでした。

ヒトラー率いるドイツ帝国が、一方的にポーランドへ侵攻し、

UK

おのれ、Hitlerめが!
許せん!

UK

UKと共に、
我がFranceもGermanyに宣戦布告!

この頃、すでにドイツとは「準同盟」である日独防共協定を締結していた大日本帝国。

後に、ヒトラーが日独伊三国同盟締結後に、

Hitler

我らはSovietと
不可侵条約を締結する!

大日本帝国に「事前通知なし」 で「独ソ不可侵条約」を締結したヒトラー。

そのため、この「ドイツのポーランド侵攻」の具体的日時は、

Hitler

「いつ攻め込むか?」は
超重要であり・・

Hitler

極秘だから、Japanには、
事前に知らせる必要なし!

事前に、ヒトラーは「大日本帝国に通知してなかった」可能性もあります。

いずれにしても、

大日本帝国

そろそろ、友邦ドイツが
欧州で戦争を始めそうだ・・・

ドイツが「そろそろ戦争を起こす」ことは、大日本帝国は把握していたはずです。

ドイツがポーランド侵攻する2日前の「切迫した時期」に連合艦隊司令長官が代わりました。

新地球紀行
米内光政 元首相・元海軍大臣(Wikipedia)
米内光政

山本よ・・・
連合艦隊司令長官になってもらいたい・・・

当時、元首相・元海相であり、「海軍の取りまとめ役」でもあった米内光政。

山本五十六を、連合艦隊司令長官に任命しようとしました。

山本と米内は、思想が似ていたこともあり、極めて親しい仲でした。

名前海兵卒業期役職
米内光政29海軍大臣
山本五十六32海軍次官
井上成美37海軍軍務局長
海軍:日独伊三国同盟反対派

米内光政・山本五十六・井上成美の「海軍三羽烏」は「親ドイツ」に徹底抵抗し続けました。

「海軍三羽烏」の日独防共協定・日独伊三国同盟の動きの話を、上記リンクでご紹介しています。

新地球紀行
山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)
山本五十六

いえ・・・私は海軍次官として、
吉田海軍大臣を補佐したい・・・

当時、海軍大臣だった吉田善吾は、山本と海兵同期でした。

山本五十六

吉田のことは
よく知っているので、任せてください!

ところが、そもそも「吉田より山本が先任」だったので、「吉田大臣・山本次官」はあり得ません。

米内光政

君を次官にするくらいなら、
海軍大臣にする・・・

米内光政

とにかく、連合艦隊司令長官として、
海上で実戦を指揮してこい!

「海軍の顔」であり、山本の兄貴分であった米内は、「山本司令長官」実現をゴリ押ししました。

山本五十六

はあ・・・
それでは、連合艦隊司令長官になります!

こうして、「ずっと主に海軍省勤務」であった山本が連合艦隊司令長官に就任しました。

最も好戦的だった山本長官の真意:第二次世界大戦勃発と同時期の就任

New Global Voyage
山本五十六 連合艦隊司令長官(Wikipedia)
山本五十六

ついに
連合艦隊司令長官か・・・

この「山本司令長官就任決定」は、「第二次世界大戦勃発の二日前」の1939年8月30日でした。

そして、正式な就任は、まさに「第二次世界大戦勃発と同日」の1939年9月1日でした。

「山本長官を強行」した米内は、「暗殺のターゲットだった山本を逃すため」だったという説もあります。

米内光政

海上にいれば、
暗殺されることもない・・・

「山本を守る」が「理由の一つ」だった説がありますが、ちょうど第二次世界大戦勃発と同時期でした。

「長官就任決定」が「たった二日しか違わない」ため、「偶然」とは考えにくいです。

これは、

米内光政

山本には将来、海軍大臣に
なってもらいたいが・・・

米内光政

戦争中の海軍大臣となると、
連合艦隊司令長官経験が望ましい・・・

政治のゴタゴタから、「ほんの二ヶ月間」連合艦隊司令長官となった米内。

「ほんの二ヶ月」でしたが一応「元・連合艦隊司令長官」であり、内情を知り、「潰し」も効きました。

「将来の海軍大臣」確実の山本に、「連合艦隊司令長官の経験」を持たせようとしたのでしょう。

「全艦隊の長官である連合艦隊司令長官」は、「艦隊長官経験者」が就任するのが通例でした。

ところが、山本五十六は「第一航空戦隊司令」は経験しましたが、「司令長官」はありませんでした。

長年、海軍省で航空技術部長・航空本部長・海軍次官を務めた山本は、

山本五十六

艦隊長官を経験していないが、
連合艦隊司令長官か・・・

いわば「飛び級」扱いで、一気に連合艦隊司令長官に就任したのでした。

そして、人望厚かった山本司令長官は、

帝国海軍士官S

山本長官のために、
死ぬ!

帝国海軍士官T

山本長官のもとで
一生懸命戦うのだ!

幕僚たちの人望を一身に集め、「連合艦隊の顔」となったのでした。

そして、日米戦の可能性が濃厚になってきた1941年。

通例ならば「最大2年ほどで交代」だった連合艦隊司令長官に、「2年務めた」山本でしたが、

米内光政

もうこうなったら、
山本しか連合艦隊司令長官はいない・・・

山本五十六

私が、連合艦隊司令長官として、
「早期和平」のために戦い抜きます!

おそらく、1939年以降の動きは、「山本自身にとって想定外」だったでしょう。

本来ならば、「海軍大臣として軍政トップ」となるべきだった山本五十六。

それが、一気に「最前線の戦争指揮のトップ」となり、全然違う役割を演じることになりました。

山本五十六

軍令部が作戦を計画して、
実行するのが連合艦隊司令長官・・・

役職権限
海軍大臣軍政(人事・兵站など)
軍令部総長軍令(作戦指揮)
連合艦隊司令長官前線の作戦指揮
帝国海軍最高幹部・権限

そして、「米国を最も知る人物」を自認していた山本長官は、

山本五十六

米国と我が国では
国力が違いすぎる・・・

山本五十六

早期に和平をまとめるためには、
米海軍に奇襲攻撃して一気に叩く!

当時「穏健派」と思われていた山本長官でしたが、「最も好戦的」な人物に大変身しました。

そして、「超好戦的」となった山本長官が強行したのが真珠湾奇襲攻撃だったのでした。

次回は上記リンクです。

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