前回は「極めて投機的要素が強い奇襲攻撃〜投機性を最も理解する山本司令長官・桶狭間とひよどり越えと川中島を「一度にやる」こと・信長と義経と謙信を合わせた人物・山本長官奮い立つ山本長官〜」の話でした。
率先垂範して奇襲攻撃の陣頭指揮へ:山本司令長官の決断


米太平洋艦隊の本拠地・真珠湾を
奇襲するという、大変な軍事作戦・・・



それは、桶狭間とひよどり越えと川中島を
一度にやるようなものだ・・・


「桶狭間」は、勢力の小さな織田信長が大勢力・大軍の今川義元を破った戦い。


「ひよどり越え」は源義経が、一気に崖を駆け降りて平家の大軍を破った戦い。


「川中島」は、武田信玄と上杉謙信の死闘「川中島の戦い」です。


ここで、山本は決断しました。



私が、
自ら真珠湾へ乗り込む!
自ら上杉謙信となり、謙信が川中島の戦いで武田信玄の本陣に猛然と突撃したように。
山本自らが真珠湾へ、



猛然と突撃して、
大成功を納めてみせる!
第一航空艦隊旗艦・赤城のかつての艦長と航空隊の育ての親


そもそも、第一航空艦隊旗艦の赤城は、山本自身がかつて艦長として座乗していた艦船です。
赤城のことは知り尽くしており、愛着もあります。



空母赤城を最も知っているのは、
私だ!
自分が司令長官として乗り込めば、操艦は艦長に任せます。



航空本部長、海軍次官として、
空母・航空隊を育てたのは私!



押し切った当事者・責任者ある私が、
直接機動部隊を連れてゆく!
山本長官は大いに意気込みます。



私が行くしか
ないのだ!
猛反対受ける山本司令長官:もはや「打つ手なし」


ところが、これには流石に、及川海軍大臣も永野軍令部総長も二人して猛反対します。



おい・・・
山本・・・



この辺りで、
いい加減にしろ・・・
特に、山本の大先輩の永野修身 軍令部総長は猛烈に反対します。



真珠湾奇襲攻撃を
認めるだけでも、大変だったんだぞ・・・
軍令部幹部が「全員猛烈に反対していた」真珠湾奇襲攻撃。





このような、異常に投機的な
攻撃は、絶対に認められません!
伊藤次長の意見が「極めて正常な判断」であったのでした。



山本・・・
お前の能力を認めているワシが・・・



軍令部総長として、
異例のトップ決断で・・・



真珠湾奇襲攻撃を
強引に裁可したのだ・・・





山本よ・・・
人事権はワシだ・・・
三人揃って、海軍兵学校卒業生であり、「近い期の卒業生」です。
海軍兵学校卒業期 | 職務 | 名前 |
28 | 軍令部総長 | 永野修身 |
31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 |
32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 |
永野軍令部総長、及川大臣、山本長官は、それぞれ海軍兵学校卒業期が28期、31期、32期です。
これら三つの役職は、「海軍の三顕職」と言われました。
ところが、連合艦隊司令長官の権限は「前線作戦指揮」に限られていました。
職務 | 名前 | 権限 |
軍令部総長 | 永野修身 | 軍令:戦略 |
海軍大臣 | 及川古志郎 | 軍政:人事・管理 |
連合艦隊司令長官 | 山本五十六 | 前線戦略 |
「連合艦隊司令長官」というと、「海軍のボス」という印象を受けます。
実は、その権限は非常に限られており、軍令・軍政に関する権限は、ほとんどなかったのです。
つまり、「卒業期の順序」が「権力の順序」と同一だったのです。



山本よ!
何言ってるんだ!



お前自ら、真珠湾へ
乗り込むなど、言語道断!



山本・・・
これ以上は、ワシもお前を庇えんぞ・・・
先輩であり、山本より強い権限を持つ永野総長・及川大臣は、二人揃って猛烈に反対します。



・・・・・
「人事権を持たない」山本長官としては、



こと、ここに至っては、
打つ手なしか・・・
断念せざるを得ない状況となりました。





やはり、一航艦(第一航空艦隊)長官は
南雲か・・・
どうにも納得がいかない、山本長官でした。
次回は上記リンクです。