率先垂範して奇襲攻撃の陣頭指揮へ〜山本司令長官の決断・第一航空艦隊旗艦・赤城のかつての艦長と航空隊の育ての親・猛反対受ける山本司令長官・もはや「打つ手なし」〜|リメンバー・パール・ハーバー16・真珠湾奇襲攻撃

前回は「極めて投機的要素が強い奇襲攻撃〜投機性を最も理解する山本司令長官・桶狭間とひよどり越えと川中島を「一度にやる」こと・信長と義経と謙信を合わせた人物・山本長官奮い立つ山本長官〜」の話でした。

目次

率先垂範して奇襲攻撃の陣頭指揮へ:山本司令長官の決断

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

米太平洋艦隊の本拠地・真珠湾を
奇襲するという、大変な軍事作戦・・・

それは、桶狭間とひよどり越えと川中島を
一度にやるようなものだ・・・

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

「桶狭間」は、勢力の小さな織田信長が大勢力・大軍の今川義元を破った戦い。

一の谷合戦(Wikipedia)

「ひよどり越え」は源義経が、一気に崖を駆け降りて平家の大軍を破った戦い。

川中島の合戦(Wikipedia)

「川中島」は、武田信玄と上杉謙信の死闘「川中島の戦い」です。

山本五十六 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

山本は決断します。

私が、
自ら真珠湾へ乗り込む!

自ら上杉謙信となり、謙信が川中島の戦いで武田信玄の本陣に猛然と突撃したように。

山本自らが真珠湾へ、

猛然と突撃して、
大成功を納めてみせる!

第一航空艦隊旗艦・赤城のかつての艦長と航空隊の育ての親

第一航空艦隊 旗艦 空母赤城(Wikipedia)

そもそも、第一航空艦隊旗艦の赤城は、山本自身がかつて艦長として座乗していた艦船です。

赤城のことは知り尽くしており、愛着もあります。

空母赤城を最も知っているのは、
私だ!

自分が司令長官として乗り込めば、操艦は艦長に任せます。

航空本部長、海軍次官として、
空母・航空隊を育てたのは私!

押し切った当事者・責任者ある私が、
直接機動部隊を連れてゆく!

山本長官は大いに意気込みます。

私が行くしか
ないのだ!

猛反対受ける山本司令長官:もはや「打つ手なし」

永野修身 軍令部総長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61 新人物往来社)

ところが、これには流石に、及川海軍大臣も永野軍令部総長も二人して猛反対します。

おい。
山本・・・

いい
加減にしろ・・・

特に、山本の大先輩の永野修身 軍令部総長は猛烈に反対します。

真珠湾奇襲攻撃を
認めるだけでも、大変だったんだぞ・・・

軍令部幹部が「全員猛烈に反対していた」真珠湾奇襲攻撃。

伊藤整一 軍令部次長(Wikipedia)

このような、異常に投機的な
攻撃は、絶対に認められません!

伊藤次長の意見が「極めて正常な判断」であったのでした。

山本・・・
お前の能力を認めているワシが・・・

軍令部総長として、
異例のトップ決断で、真珠湾奇襲攻撃を強引に裁可したのだ・・・

及川古志郎 海軍大臣(Wikipedia)

山本よ。
人事権はワシだ・・・

三人揃って、海軍兵学校卒業生であり、「近い期の卒業生」です。

海軍兵学校卒業期職務名前
28軍令部総長永野修身
31海軍大臣及川古志郎
32連合艦隊司令長官山本五十六
海軍首脳の海軍兵学校卒業期

永野軍令部総長、及川大臣、山本長官は、それぞれ海軍兵学校卒業期が28期、31期、32期です。

これら三つの役職は、「海軍の三顕職」と言われました。

ところが、連合艦隊司令長官の権限は「前線作戦指揮」に限られていました。

職務名前権限
軍令部総長永野修身軍令:戦略
海軍大臣及川古志郎軍政:人事・管理
連合艦隊司令長官山本五十六前線戦略
海軍首脳の職権

「連合艦隊司令長官」というと、「海軍のボス」という印象を受けます。

実は、その権限は非常に限られており、軍令・軍政に関する権限は、ほとんどなかったのです。

つまり、「卒業期の順序」が「権力の順序」と同一だったのです。

山本よ。
何言ってるんだ。

お前自ら、真珠湾へ
乗り込むなど、言語道断!

山本・・・
これ以上は、ワシもお前を庇えんぞ・・・

先輩であり、山本より強い権限を持つ永野総長・及川大臣は、二人揃って猛烈に反対します。

・・・・・

山本長官としては、

こと、ここに至っては、
打つ手なしか・・・

悩みどころですが、

南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本戦記シリーズNo.61新人物往来社)

やはり、一航艦(第一航空艦隊)長官は
南雲か・・・

どうにも納得がいかない、山本長官でした。

新地球紀行

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