前回は「リメンバー・パール・ハーバー 15〜奮い立つ山本長官〜」の話でした。

山本は決断します。

私が、自ら真珠湾へ乗り込む!
自ら上杉謙信となり、謙信が川中島の戦いで武田信玄の本陣に猛然と突撃したように。
山本自らが真珠湾へ



猛然と突撃して、大成功を納めてみせる!


そもそも、第一航空艦隊旗艦の赤城は、山本自身がかつて艦長として座乗していた艦船です。
赤城のことは知り尽くしており、愛着もあります。





空母赤城を最も知っているのは、
私だ!
自分が司令長官として乗り込めば、操艦は艦長に任せます。



航空本部長として、
空母・航空隊を育てたのは私!



押し切った当事者・責任者ある私が、
直接機動部隊を連れてゆく!
山本長官は大いに意気込みます。


しかし、これには流石に、及川海軍大臣も永野軍令部総長も二人して猛反対します。





おい。山本。



いい加減にしろ。
特に、山本の大先輩の永野修身 軍令部総長は猛烈に反対します。
ここで、もう一度、先輩・後輩を確認します。
海軍兵学校卒業期 | 職務 | 名前 |
28 | 軍令部総長 | 永野修身 |
31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 |
32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 |
永野軍令部総長、及川大臣、山本長官は、それぞれ海軍兵学校卒業期が28期、31期、32期です。
これら三つの役職は、「海軍の三顕職」と言われました。
しかし、連合艦隊司令長官の権限は「前線作戦指揮」に限られていました。
職務 | 名前 | 権限 |
軍令部総長 | 永野修身 | 軍令:戦略 |
海軍大臣 | 及川古志郎 | 軍政:人事・管理 |
連合艦隊司令長官 | 山本五十六 | 前線戦略 |
「連合艦隊司令長官」というと、「海軍のボス」という印象を受けます。
しかし、その権限は非常に限られており、軍令・軍政に関する権限は、ほとんどなかったのです。
つまり、「卒業期の順序」が「権力の順序」と同一だったのです。





山本よ。
何言ってるんだ。
先輩であり、山本より強い権限を持つ永野総長・及川大臣は、猛烈に反対します。



・・・・・