世界に躍り出たSatsuma〜薩英戦争の交渉妥結・国際政治の外交に成功した薩摩・徳川に賠償金を負担させた薩摩・大いに振るう島津久光と精忠組〜|日英の未来と友好22・国際関係・戦略的外交

前回は「冴えに冴えるアーネスト・サトウの外交手腕〜「建前」の条項・島津久光の怒りに怯える岩下と重野・奇想天外の奇策・賠償金を幕府に借入〜」の話でした。

目次

薩英戦争の交渉妥結:国際政治の外交に成功した薩摩

新地球紀行
薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

薩摩藩と大英帝国の間で勃発した薩英戦争。

その賠償をめぐる交渉が、薩摩と英国の間で始まりました。

大英帝国側は、超知日派であり超親日派であるアーネスト・サトウが担当です。

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左上から時計回りにJohn Neal駐日代理公使、Ernest Satow英外交官、薩摩藩士 岩下方平、薩摩藩士 重野安繹(Wikipedia)

長い具体的な協議を経て、

我々はSatsumaとは
今後お付き合いしてゆきたい・・・

大英帝国側は、万国公法を盾にしながらも「薩摩への強行姿勢」を崩してきました。

賠償額は下げるので、
25,000ポンドでいかがでしょうか?

要求する賠償額を、30,000ポンドから一気に20%ほど減額してきたアーネスト・サトウ。

これに対して、薩摩側の岩下方平は、

こんなに、
一気に下げてきた・・・

先方が大きな譲歩をしている以上、
本気でこちらも考えねば・・・

「なんとか交渉を妥結へ」と意気込みます。

そもそも、「まず強く主張する」傾向が濃厚な欧米の外交。

この意味では、「当初請求の30,000ポンド」は「ふっかけ」とも言えます。

ここは、上手く交渉妥結へ
向かわせたい・・・

交渉術が薩摩よりはるかに高かった大英帝国の駆け引きで、25,000ポンドとなった賠償額。

ところが、25,000ポンド=約6万両は莫大な金額です。

Japanの国家元首である
Tokugawaからお借りになっては?

幕府から、我が薩摩の
賠償金を借りる?!

「幕府から賠償金を借りる」のは、かなり突拍子もない案です。

そんな手は
思いもつかなかったが・・・

それは
良い手かもしれない・・・

幕府が貸して
くれるでしょうか?

とにかく、
幕府へはなんとか頼もう!

そして、肝心要の「薩英戦争の原因」となった「生麦事件の加害者差し出し」が懸案でしたが、

これは万国公法上、
削れないので、「犯人引き渡し」は入れて頂きたい・・・

ここで、アーネスト・サトウはチラリと岩下と重野の両方を見て、

・・・・・

そして「大英帝国の要求」を述べました。

ただ我がGreat Britainとしては、
こう考えています・・・

「探しに探した結果、
どうしても犯人が見つからない場合はやむなし」と・・・

つまり、「生麦の犯人引き渡し」条項は、日本的な「曖昧さを残したまま」の方向です。

「建前」という
ことか・・・

万国公法上、「犯人引き渡し」条項は
エゲレスとしては削れないでしょう・・・

うむ・・・
これで交渉妥結しよう!

いわば、薩摩は「国際政治の外交に成功した」とも言える状況でした。

徳川に賠償金を負担させた薩摩

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老中 小笠原長行(Wikipedia)

な、なに?!
我が幕府にエゲレスへ支払う金を借りたいと?!

本気で「大英帝国への賠償金を幕府から借りる」ことを目論んだ薩摩。

はい・・・
ここは、大公儀にお願いしたく・・・

我が薩摩藩は
弱小でして・・・

日本政府であった徳川幕府と比較したら、「薩摩藩は弱小」かも知れません。

ところが、大公儀=徳川幕府の財政もまた火の車でした。

そんなの無理だろう・・・
我が幕府も大変なのだ・・・

大体、薩摩は
密貿易もして、かなり裏帳簿があるはずだが・・・

薩摩藩の実情を探ろうと密偵を送り込んでも、ほぼ全員が戻ってこない事態であった幕府。

とは言っても、「日本政府」であった以上、薩摩のことは「ある程度は把握」していた幕府。

こういう時だけ、
下手に出てきおって・・・

そもそも、
貸した金を薩摩は返すのだろうか・・・

不安になった老中の小笠原長行。

そこを
なんとか・・・

薩摩が消えてしまう
かも知れません・・・

異常に下手に出てくる薩摩に対して、

ここまで下手に出た
薩摩に「貸さぬ」わけにもいかん・・・

そして、薩摩の協力は
幕府運営上、極めて重要だ・・・

1863年の当時、幕府の屋台骨は揺らぎつつあったこと。

これは十分に分かっていたのが、当時の優れた幕閣の政治家・官僚たちでした。

やむ得ん・・・
貸すしか選択肢はない・・・

ここで、老中小笠原は決断しました。

分かった・・・
エゲレスへの賠償金は、幕府として貸そう・・・

有難き
仕合わせに御座います!

我が薩摩、
恩に来ますぞ!

必ず、時が経ったら、
耳を揃えて幕府に返すように!

もちろんの
ことです!

ところが、この5年後には明治維新となりました。

5年後の1858年、徳川幕府は滅亡してしまい「借金は返さぬまま」となりました。

この「賠償金を徳川に肩代わり」を最初から計画していた薩摩の悪謀。

さすが、というよりも「あまりにも狡猾」でした。

そして、この「ある種の狡猾さ」は、大英帝国との交渉から学んだことだったのでしょう。

世界に躍り出たSatsuma:大いに振るう島津久光と精忠組

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薩摩国父と薩摩藩士たち:左上から時計回りに 島津久光、岩下方平、大久保一蔵、重野安繹(Wikipedia)

無事、大英帝国との交渉に「成功した」とも言える岩下方平と重野安繹。

久光様!
かなりの成果を挙げました!

なんだと?
ふむふむ・・・

犯人引き渡しは、
うやむやにして事実上なし・・・

賠償金は
幕府にもたせると・・・

出来したぞ!
岩下!重野!

薩摩は大打撃を受けたが、
これならメンツも保てたな・・・

機嫌がとても良い島津久光。

万国公法をもとに、
エゲレスと交渉できたのは収穫大です!

うむ・・・
よくやった!

一蔵!
一蔵はいるか!

はっ、久光様・・・
大久保はここに!

一蔵よ!
エゲレスとの取りまとめを進めよ!

久光様・・・
実はエゲレスが我が薩摩と付き合いたいと・・・

なに!?
ふむう・・・

奴らには最先端の文明もあり、
大変の科学技術を持っているな・・・

良かろう!
一蔵よ、それも進めよ!

はっ、この
大久保にお任せを・・・

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第十一代薩摩藩主 島津斉彬(Wikipedia)

これで、この久光は
亡き兄・斉彬の悲願を叶えられるかもしれん!

こうして、薩摩藩で大いに重きを成すことになった、大久保たち精忠組の面々。

名前生年
島津久光1817
有馬新七1825
大山綱良1825
岩下方平1827
西郷吉之助(隆盛)1828
大久保一蔵(利通)1830
島津久光と精忠組の青年
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薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

歴史を大きく動かした「最大の原動力」であった西郷吉之助(隆盛)は、

・・・・・

当時は、島流しの身でした。

こうして世界最強の大英帝国と戦争して、さらに互角の外交交渉に成功した薩摩。

薩摩は「世界のSatsuma」となって、一気に世界に躍り出てゆきました。

やがて、「討幕・明治維新の最大の原動力」となった薩摩は、本当に時代を変えました。

・・・・・

この5年後に、当時の久光も大久保たちも「考えもしなかった」討幕は実現されたのでした。

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