前回は「世界で光り輝き始めた薩摩〜異常に優れた人材たち〜「島流し」から帰還した前科者重野安繹・驚愕する大英帝国・SatsumaのSaigoという男〜」の話でした。
薩摩と大英帝国の交渉のホイッスル
はるかに格下の日本のさらにその一共和国に過ぎない薩摩と戦争して、予想外の大打撃を受けた大英帝国。
1863年7月2日〜3日(日本の暦、以下同)にかけて、薩摩藩と大英帝国の間で死闘が錦江湾で行われました。
大英帝国の東洋艦隊と死闘を繰り広げた薩摩藩。
当時、大英帝国はアジアへの進出を強めており、インドなどの植民地からの収益が本国を富ませていました。
大英帝国本国から遠い地であるアジアの東洋艦隊は、「大英帝国の出先機関」とも言えます。
世界中の植民地の中でも特に重要だったアジアへは、非常に強力な艦隊を派遣していた大英帝国。
対して、薩摩藩は日本国内では「日本最強」でしたが、世界から見たら「日本の一公国」の存在です。
その「日本の一公国」が世界最強国とサシで戦争するという、異常事態が発生したのが薩英戦争でした。
鹿児島城下を砲撃し尽くした大英帝国ですが、想定外の大打撃を受けて同年7月4日に撤退します。
その戦後補償の話し合いが、早くも同年9月28日から開始しました。
主導する重野安繹は、つい最近まで島流しにされていた「犯罪者」(連座)です。
ついこの間まで、
島流しになっていた重野です・・・
薩摩藩からの能力を買われて、この大事な交渉の場の代表格となり、張り切ります。
重野よ、
頼んだぞ・・・
島流しになっていた重野に対して、島津久光が声をかけることはなかったですが、
国父様も
あなたに期待している!
薩摩の重役からは「久光の期待」は伝えられていたでしょう。
海外のことも十分学んでおり、
万国公法などにも通じています!
薩摩藩のために、
力を尽くそう!
実際、この損害賠償の話し合いは、薩摩藩の命運を左右するかもしれない極めて重要なことでした。
岩下方平と重野安繹と言葉の戦い:理詰めで大英帝国に反論
当時は、藩が国家のような存在だった日本。
現代、日の丸を背負って対外交渉を行う実務官僚・オリンピック選手のような気持ちだったでしょう。
薩摩側の重要人物がもう一人います。
正使として、重野の補佐役となった薩摩藩士 岩下方平。
名前 | 生年 |
島津久光 | 1817年 |
有馬新七 | 1825年 |
岩下方平 | 1827年 |
重野安繹 | 1827年 |
西郷吉之助(隆盛) | 1828年 |
大久保一蔵(利通) | 1830年 |
西郷隆盛、大久保利通ら若手の巣窟である精忠組の一派でした。
当時、精忠組の幹部格であった岩下方平。
我が薩摩藩の
ために!
そして、西郷・大久保に続いて大山巌、東郷平八郎を輩出した下加治屋町出身です。
城下を焼き尽くされた
補償を得る!
後に明治政府で大阪府大参事、貴族院議員などを務める岩下も張り切ります。
対する、大英帝国側はニール代理公使たちが、出てきます。
若き外交官アーネスト・サトウもまた、交渉の表裏に関わります。
大体、Satsumaが
我がGreat Britainの民間人を突然斬ったのが悪い!
我がGreat Britainは、
国民を守ったまで!
世界一の強国であり、民主主義発祥の地である大英帝国。
「国民を守るのが当然」という主張をします。
我が国では、
大名行列を乗馬で横切るなどもっての外!
あなた方が、
我が国にいるならば、我が国の慣習に従うべき!
そもそも、薩英戦争のきっかけとなった生麦事件に対する考えからして、そもそも対立が止まりません。
大英帝国は民主主義の国と
聞きます。
あなたの「国民を守る」は分かりますが、
「他国の民」に対する考えは尊重すべきでは?
学者肌の重野は、とにかく理詰めで追求します。
う〜む・・・
確かに・・・
アジア人を見下していた大英帝国からすれば、「理詰めで反論」されることは想定していませんでした。
TokugawaとSatsumaの大きな違い
優れた外交官で日本語にも堪能なアーネスト・サトウも負けてはいません。
あなたの
主張することも分かるが・・・
しかし、
民間人を日本刀で斬るのは、受け入れ難い。
確かに、この点は、薩摩藩が絶対的に不利です。
確かに、国際法などに照らし合わせると、
「斬りかかる」のは問題だったでしょう。
血気盛んな薩摩藩士ではなく、学者肌で冷静な重野を代表にしたのは薩摩藩の賢明な点でした。
これが当時の国際情勢をわきまえない武闘派だったら、
国際法など、
我が薩摩には関係ない!
「国際法など関係ない」となったでしょう。
その結果「ただ決裂した」だけに終わったであろう交渉は、「理詰め同士の戦い」となりました。
当時の国際・世界情勢をしっかり把握していた重野は、内心は、
「生麦のこと(生麦事件)」は、
国際法的に薩摩に非がある・・・
ことをはっきりと理解していました。
しかし、これで折れるつもりは全くありません。
しかし、軍艦を動員して
戦争をふっかけてきた大英帝国も問題でしょう!
これは、国際法では
全く問題ないのですか?
確かに、「全く問題ない」とは
言い難いです。
薩摩も大英帝国も双方が、自説を強行に主張するのみです。
全く平行線で交わる気配すら感じられない交渉の第一日目は、完全な物別れに終わりました。
交渉後、ニール代理公使とアーネスト・サトウが話します。
ふ〜・・・
Tokugawaとは全然違うな・・・
同じ日本人で、
こんなに違うとは・・・
私も実際にSatsumaの人間と
対峙すると、同じ思いです。
これで、交渉は
妥結するのか?
諸外国にも圧力をかけるように
依頼しています。
うむ。
ここはFranceなどとも協調するのが良いな。
アジアでの交渉で初めての「異常な強硬姿勢」を受け、困惑したニールたちでした。
次回は上記リンクです。