日英の友好 18〜驚愕する大英帝国〜|薩英戦争

前回は「日英の友好 17〜大英帝国と薩摩の思惑〜」の話でした。

薩摩藩士 重野安繹(Wikipedia)

薩英戦争において、大英帝国と「痛み分け」に近い状況まで奮戦した薩摩藩。

その薩摩藩からは、島流しにされていた「前科者」である重野安繹が交渉を主導します。

当時、世界一最強国だった大英帝国。

John Neal駐日代理公使(Wikipedia)

本国のRussell外相から、
Satsumaとの交渉取りまとめの厳命がきた。

なんとか、
まとめなければならん!

大英帝国 外交官 Ernest Satow(Wikipedia)

Namamugiでの事件が発端ですが、
戦争を仕掛けたのは、我が大英帝国ですから・・・

交渉は
難航しそうです。

そうだのう・・・

我が東洋艦隊は
大打撃を受けましたが・・・

Satsumaの砲台や市街地も
大部分が焼けているので・・・

Satsumaが戦争を続けるとは
考えにくいです。

しかし、今回の
奴らの戦いっぷりをみると・・・

何をしてくるか、
わからんのう・・・

ですから、「TokugawaとSatsumaは別」と
申し上げたのですが・・・

お前の
言った通りだったな。

老練なJohn Neal駐日代理公使は、若き外交官 Ernest Satowの力を大いに認めます。

とにかく、お前に
任せたい。

それで、Satsumaの交渉まとめ役は
どんな人物だ?

Shigenoという人物で、大変な
切れ物です。

つい先日まで、
島流しにされていた人物です。

なに?
ということは、犯罪者か?

Shigenoは同僚の「使い込み」に
巻き込まれたようです。

しかし、「前科者」と言えば、
その通りです。

面白いのう・・・

Tokugawaの交渉相手の、
あのなんという奴だったかな?

老中 板倉勝静(Wikipedia)

Itakura、
Ogasawaraでしょうか?

うむ。
あやつらは貴族風だったが、実に腑抜けた連中だった。

対して、Satsumaの
交渉相手は「切れ物の前科者」か?

ふふふ・・・

どうかされましたか?

いや、
実に面白い!

おっしゃる通りです。

さらに、
面白い話がございます。

なんだ?

第十一代薩摩藩主 島津斉彬(Wikipedia)

Satsumaの前の王であった
Nariakiraの家臣で、非常に面白い人物がおります。

「前の王」とは前藩主の斉彬のことです。

そのNariakiraは
どうしたのだ?

5年前に
亡くなりましたが・・・

毒殺と言われております。

なんと!
王が毒殺されたのか?

派閥争いです。

そのNariakiraが非常に大事にしていた
極めて有能な家臣がおります。

なんという奴だ?

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

Saigoと言います。

そのSaigoは今、
どうしている?

今の王であるHisamitsuに
罰を受け、島流しにされています。

薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

また島流しか?

はい。
しかし、非常に優れた人物と聞いております。

Japanは島国だが・・・

そんなに島流しの
罰は多いのか?

そこは各共和国(藩)によりますが、
Satsumaは、頻繁に島流しの罰を与えます。

Japanの中でも、Satsumaは際立って
外の島や海と繋がりを持ってきました。

この意味では、EdoのTokugawaの
「非常に内向き」に対して、Satsumaは「非常に外向き」です。

幕末維新の日本の諸国

面白いのう・・・

ということは、Satsumaは
Japanで最も進んだ国か?

その通りです。

さらに軍事力がJapanの
諸国で群を抜いており・・・

優れた人材が極めて
多い国です。

恐ろしき国だのう・・・

Saigo、
Shigenoの他には?

薩摩藩士 大久保 一蔵(利通)(Wikipedia)

はい。
Okuboという優れた人物がおります。

今の王である
Hisamitsuの寵臣と言われております。

なるほど。

そういえば、拿捕した
Satsumaの家臣も堂々としていたようだが・・・

薩摩藩士 五代友厚(Wikipedia)

Godaiですね。
彼は、商才があると考えられております。

とにかく、Satsumaの
人物たちは、我が大英帝国本国にも劣りません。

何?
それほどなのか?

今までの我が国の
Asiaに対する視線から変更した方が良いでしょう。

うむ。
とにかく、面白い。

この極東の端の国で、
かほどの面白き国があるとは、夢にも思わなかったわ!

はい。
私も、調べれば調べるほどSatsumaに興味が湧きます。

JapanのTokugawaは優秀な官僚が
多いですが・・・

Satsuma、Choshuなどの国には
新しい発想をする優れた人物が多いです。

これでは、
我が東洋艦隊が大打撃を受けるわけだ・・・

想像もしなかったがな。

薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

よし!

交渉は任せる!

その「優れた前科者」達と
うまく交渉をまとめよ!

お任せを。

我が大英帝国の面子を
堅持しつつ、新たな方向性を持つのも良いだろう。

Satsumaとは、今後付き合ってゆくのが
良いと考えます。

そうだな。
その面白い連中の多いSatsumaと、上手く交渉をまとめよ。

Russell外相にも、
そのようにお伝えしよう。

1921年の大英帝国の版図(Wikipedia)

まさに世界一の王座にあった大英帝国が、日本の小さな国の薩摩藩と戦後交渉を開始します。

「強きもの」「優れたもの」に対する大いなる視線をもつ西欧諸国において、Satsumaの存在が光り輝き始めたのです。

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