薩英戦争と薩摩の大奮戦〜大いに慌てた英東洋艦隊の提督たち・予想外の大損害に愕然とする大英帝国・異常に強かった薩摩・島津久光の側近・大久保一蔵〜|日英の未来と友好16・国際関係・戦略的外交

前回は「幕末のアジアにおける日本の立場〜英東洋艦隊出撃・大英帝国との戦争準備進める薩摩・世に出る島津久光の側近・大久保一蔵・島流しの西郷と精忠組〜」の話でした。

目次

島津久光の側近・大久保一蔵

島津久光 側近 大久保一蔵(利通)(Wikipedia)

薩摩国父(事実上の藩主)島津久光の命令で、錦江湾の砲台へ向かったのは若き日の大久保利通でした。

当時は、大久保一蔵という名前でした。

大英帝国の東洋艦隊が薩摩へ向かったのは1863年。

5年後の1868年の明治維新によって、明治新政府の重鎮の一人となる大久保利通。

当時は大久保一蔵という名前で、島津久光お気に入りの側近でした。

直ちに
砲台へ向かう!

John Neal駐日代理公使(Wikipedia)

この頃、ニール駐日代理公使は東洋艦隊勝利の吉報を待っていました。

Satsumaの侍は
強いらしいが・・・

我がGreat Britainの
敵ではないだろう・・・

英東洋艦隊の一方的な大勝利を確信していたニール駐日代理公使。

大英帝国 外交官 Ernest Satow(Wikipedia)

Satsumaは、他の日本の
国(藩)とは全く異なります。

要注意が
必要かと・・・

だが、Japanは
長年Chinaの影響を受けてきた国だろう・・・

そのChinaに対して、我が
Great Britainの艦隊は大勝利したのだ。

アヘン戦争(Wikipedia)

JapanのTokugawa相手なら、
まだしも・・・

Japanの一共和国の
Satsumaごとき・・・

このように薩摩との戦いに対して「超楽観視していた」大英帝国の東洋艦隊でした。

薩英戦争と薩摩の大奮戦:大いに慌てた英東洋艦隊の提督たち

英東洋艦隊 旗艦 ユーライアス号(Wikipedia)

東洋艦隊の旗艦 ユーライアス号は堂々と、錦江湾に入って薩摩を威嚇し始めました。

艦隊の司令官格であるキューパー提督とユーライアス号のジョンスリング艦長は、

わざわざ、極東の
Japanに来たんだ。

ちょっとは、
楽しませてくれよな・・・

二人とも余裕の表情です。

よしっ!
撃て!

薩摩砲台から突如砲弾が発射されました。

な、何?!

驚き慌てたキューパー提督は、

一時退却!
立て直しだ!

錦江湾を脱出して、戦列を立て直します。

今度こそは、
Satsumaの連中を叩き潰す!

余裕だったのに、横から平手打ちされた気持ちのキューパー提督とジョンスリング艦長。

満を持して、錦江湾に再び乗り込んできました。

薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

旗艦ユーライアス号を含む7隻の艦隊が、薩摩錦江湾に攻撃を仕掛けてきました。

当時、このレベルの艦船を持つ日本の藩は限られていました。

第十一代薩摩藩主 島津斉彬(Wikipedia)

前藩主の島津斉彬(島津久光の異母兄)が推進した、大規模な西洋化推進。

尚古集成館事業などを力強く推進しましたが、島津斉彬は短命だったため、薩摩藩の西洋化は頓挫しました。

比較的進んでいた薩摩といえども、艦船を「一隻保有しているかどうか」のレベルでした。

その艦船が7隻も攻撃に来たのです。

これは、
大変な艦隊だ・・・

しかし、
もはや戦うしかない!

撃て!

「英国の艦隊が攻めてきたら、絶対に負ける」と考えていた徳川幕府。

対して、剽悍な武士の多い薩摩藩は、徳川幕府とは対照的な考え方を持っていました。

予想外の大損害に愕然とする大英帝国:異常に強かった薩摩

薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

大乱戦となりました。

キューパー提督とジョンスリング艦長は、

Japanの奴らの砲台は、
旧式のはずだが・・・

猛烈な薩摩の奮戦に唖然としますが、

とにかく、
Satsumaの砲台を破壊しろ!

7つあった薩摩の砲台向けて、砲弾を打ち込みます。

激戦の末に、

旗艦ユーライアス号に、
敵の砲弾が命中!

なんと、旗艦ユーライアス号に薩摩藩の砲弾を受けました。

ジョ、
ジョンスリング艦長が!

慌てるキューパー提督。

ジョンスリングは、
無事か!

ジョンスリング艦長と
副長が戦死です!

なんと・・・

おのれ・・・
Satsumaの街を焼け!

この戦いの結果、大英帝国の東洋艦隊で死者13名、負傷者40名ほど出ました。

対する薩摩藩の死者5名、負傷者20名ほど出しました。

そして、東洋艦隊の旗艦ユーライアス号は大破して、中破2隻。

対する薩摩藩の損害は、ほぼ全ての砲台を破壊され、城下町の10%以上が焼かれました。

薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

我が薩摩は、
大損害を受けたが・・・

戦いでは、
勝ったようなものか・・・

・・・・・

戦闘の結果報告を受けた国父 島津久光は、薩摩藩士の猛烈な反撃に喜びます。

対して、報告を受けたニール駐日代理公使。

艦長が
戦死だと・・・

はい。
13名の我が艦隊の将兵が亡くなりました・・・

Satsumaの街の10%以上を焼き、
砲台は全て破壊しましたが・・・

で、Satsumaの
人的損害は?

Satsuma藩士は、
5名の戦死です。

それでは、
我が国の方が人的損害が大きいということか?

驚愕の表情をするニール駐日代理公使に対して、アーネスト・サトウ外交官は、

はい・・・

と力弱く応えます。

うむう・・・・

あまりに予想外の事態に、大英帝国の駐日公使館内は、暗い雰囲気に包まれました。

新地球紀行

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