日英の友好 15〜英東洋艦隊出撃〜|薩英戦争

前回は「日英の友好 14〜日本の外務大臣〜」の話でした。

Frederick Wright Bruce清国駐在英公使(Wikipedia)

当時の欧米にとって、日本は極東にある「遠い存在」でした。

国土も広く、人口が多く、当時GDP世界一だった清国(中国)。

欧米にとっては、何よりもまずは清国との付き合い・外交が最優先だったのです。

そのため、本国と相談しながら、アジア地域の総本部のような存在だった清国英国公使館。

当時のFrederick Wright Bruce清国北京駐在英公使に、ニールは相談します。

John Neal駐日代理公使(Wikipedia)

日本政府のTokugawaは、
すぐに賠償金を払いました。

しかし、共和国の一つで、当事者の
Satsumaは、ゼロ回答でした。

事件で亡くなった
Richardsonなら、知っている。

不憫なやつだが、
相手国の風習を尊重することは大事だ。

このまま、Satsumaに対して
引き下がるわけには・・・

うむ。
Satsumaに我が東洋艦隊を向けよう。

勿論、圧力だけではなく、
戦争の準備をしてだ。

了解しました。

大英帝国 外交官 Ernest Satow(Wikipedia)

Satsumaには、再度
犯人引き渡しと賠償金を求めます。

うむ。

わが東洋艦隊が向かうことを
Satsumaに伝えよ。

ははっ。

薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

エゲレス(大英帝国)から艦隊が
我が薩摩に向かっているだと・・・

ははっ。
隣の清国は、大敗北しました。

我が薩摩とはいえ、
戦うと・・・

負ける、のか?

その可能性もあります。

とにかく、鹿児島城下で
防備を固めろ!

ははっ!

一蔵!

大久保 一蔵(利通)(Wikipedia)

ははっ!

後に、明治維新の元勲となり新政府で、事実上の首相として強権を振るった大久保利通 内務卿。

当時は、大久保一蔵と名乗り、薩摩国父 島津久光の側近の一人でした。

砲台へ
行ってまいります!

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

後に薩摩藩をまとめて、明治維新の原動力となる西郷隆盛。

西郷は、当時、事実上の藩主である島津久光の怒りを買い、島流しとなり、沖永良部島にいました。

砲台は、
戦争に備え、防備を固めよ!

本当に戦争になるかも
しれぬ・・・

西郷どんが、
いてくれたら・・・

英東洋艦隊 旗艦 ユーライアス号(Wikipedia)

5隻ほどの
英艦隊が、薩摩に向かっています!

うむう・・・

当時、科学力では、佐賀藩に並び日本最先端の一つであった薩摩藩。

しかし、艦隊は一隻もなく、蒸気船しかありません。

薩摩藩士 五代友厚(Wikipedia)

我が方の
五代友厚乗る蒸気船が捕獲されました!

五代が「英国に捕獲された」のは、「意図的だった」という説もあります。

いずれにしても、薩摩にとっては、状況は非常に緊迫してきました。

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