前回は「日英の友好 13〜日英の統治機構〜」の話でした。

徳川幕府を大混乱に陥れた生麦事件。
大英帝国は、英仏蘭米の四カ国が横浜に集め、幕府に圧力をかけます。
この時の「日本側の外務大臣は誰か」というと曖昧でした。
老中の一人であった板倉勝静。

これは、
由々しき事態だ・・・
米国との条約締結交渉などのために、新たに外国奉行が設置されました。
設置された1858年当時は、「幕府最高の切れ者」と言われた岩瀬忠震。


しかし、当時「勅許を得ずに日米修好通商条約を締結」し、井伊大老から罷免されます。





お前は、一体
何をやっておるんだ!
大老は非常職としても、上に老中・若年寄がいる幕府の統治機構。
外国奉行は、現在の外務省局長クラスであったと考えられます。


当時、老中は他にも居て、小笠原長行らが協議します。



外国が本気で
横浜や江戸に攻め込むとは思えぬが・・・



攻め込まれたら・・・



江戸はともかく、
横浜はすぐに占領されるでしょう。



江戸も防備を
固めつつあるが・・・



英仏蘭米の四カ国
相手では、負けるのう・・・





圧力を
かけ続けろ!



それで、
Japanの外務大臣は誰だ?





それが・・・



明確な外交トップは、
不在のようです。



では、Tokugawaは
誰が外国との交渉を決定するのだ?



現在は、老中のようです。



しかし、老中は複数いて、
合議制です。



Japanは、
何でも曖昧だのう・・・



それがJapanなのです。





アヘン戦争で
清国が一方的にやられた・・・



日本もまずい・・・



ここは
折れるしかない。
老中 小笠原長行は、独断で「言い値」の賠償金10万ポンドを支払います。



Tokugawaは、
要求通り、10万ポンド払います。



なんだ。
交渉してこなかったのか?



はい。
減額交渉はありませんでした。



これでは、
Tokugawaの外交は、ガタガタだのう。



二国間協議は、
お互いの主張をして、双方の譲歩があるのだが・・・



はい。
Tokugawaには、その能力がありません。



ならば、そのSatsumaとやらも
脅せばすぐだのう。



そうだと良いのですが・・・



SatsumaとTokugawaは
全然違います。



「同じJapan」とは
思えぬほど、全然違うのです。


案の定、薩摩藩は



はっ?



生麦でのことで、
エゲレス(大英帝国)が怒っておるだと?



何を言ってるんだ。



これは、我が国の作法に
従わなかった、あいつらが悪い。



賠償金、犯人逮捕など
もってのほか!



突っぱねろ!





Satsumaが、こちらの
要求を完全に突っぱねてきました。



ほう・・・
同じJapanなのに、全く異なる徳川幕府と薩摩藩の姿勢。
大英帝国のニール代理公使、アーネスト・サトウ外交官らは、先を読みながら考えます。