幕末の日英の統治機構の大きな違い〜怒り心頭の英国公使・激怒するのが当然の事態・生麦事件の真相・超強行姿勢の大英帝国・曖昧極まりない日本の統治機構・徳川幕府と天皇〜|日英の未来と友好13・国際関係・戦略的外交

前回は「生麦事件と大英帝国外相〜遠い極東・日本の出来事・「郷に入っては郷に従う」と人権・アーネスト・サトウの卓抜した諜報力と分析力〜」の話でした。

目次

怒り心頭の英国公使:激怒するのが当然の事態

John Neal駐日代理公使(Wikipedia)

生麦事件で自国の民間人4名が襲われた世界一の大英帝国。

英国人1名が亡くなり、2名が重症、女性1人軽症を追います。

おのれ・・・

怒り心頭のニール駐日代理公使。

激怒するのが当然である事態でした。

現代日本のように、近隣の国からミサイルを領海に打ち込まれても、

大変遺憾です・・・

としか言えないことが異常です。

大英帝国 外交官 Ernest Satow(Wikipedia)

まずは、事態をしっかり
把握します。

日本語に堪能で「超日本通」のアーネスト・サトウ。

非常に分析力にも優れたサトウは、各地で情報を集めます。

アーネスト・サトウのサトウは「佐藤さんの佐藤」とは異なり、Satowという英国名です。

若い頃から、

Japanに
行きたい!

と憧れ続け、日本語を熱心に学び、極めて堪能なレベルの稀有な人材・アーネスト・サトウ。

一体、この事件は
何がどうなって、こんなことになったのだ?

生麦事件の実態が、段々分かってきました。

生麦事件の真相:超強行姿勢の大英帝国

生麦事件(Wikipedia)

4名の英国人は、当時頻発していた外国人襲撃もあり、危険を察知してすぐに馬首を返したのです。

ところが、薩摩藩士は問答無用で斬りかかりました。

亡くなった一人の英国人男性リチャードソンは、逃げたにも関わらず追いかけられ、とどめを刺されました。

逃げたところを、
後ろから日本刀で斬りつけられた、だと?

これは、流石に
野蛮すぎる・・・

「大の日本贔屓」のアーネスト・サトウですら、あまりの事態に驚愕します。

だが、Satsumaは
Japanで幕府に次ぐ強国だ・・・

そして、ニール代理公使に献策します。

まずは犯人引き渡しの
要求をTokugawaとSatsumaにしましょう。

うむ。

任せた。

まずは、幕府の外国奉行・津田正路と交渉を開始します。

John Russell英外相(Wikipedia)

そして、その間に大英帝国本国へ連絡して、ラッセル外相の指示を待ちます。

Japanの政治状況は
共和国制に近いようだ。

まずは、日本政府である
Tokugawaに要求するのが筋だろう。

謝罪と
10万ポンドを要求せよ。

金額は交渉になるだろうから、
まずは吹っかけてやれ!

大いに
吹っかけてやります!

犯人引き渡しは、
Tokugawaでは出来ないだろう。

引き渡しは、Satsumaに
直接圧力をかけよ!

ははっ。

大英帝国は「後進国」である日本に対して、超強行姿勢で臨むことを決定しました。

曖昧極まりない日本の統治機構:徳川幕府と天皇

第十四代将軍 徳川家茂(Wikipedia)

こうして関係ないにも関わらず、「謝罪+10万ポンド」を要求された徳川幕府。

10万ポンドとは、
一体どのくらいなのだ?

支払えるのか?

将軍・家茂は、政情不安定となっていた当時、統治能力も大してありませんでした。

大老 井伊直弼(Wikipedia)

強権を振るった大老 井伊直弼は、2年前の「桜田門外の変」で暗殺されています。

・・・・・

薩長史観では「単なる悪党」である井伊直弼ですが、極めて有能な政治家でした。

その井伊が不在で「強力な政治家が不在」の徳川幕府。

大英帝国のようにピラミッド型のしっかりした政治機構。

それとは対照的に、非常に政治機構が曖昧な状況だったのが徳川幕府。

孝明天皇(Wikipedia)

夷狄など
我が国に入れるな!

さらに孝明天皇は「大の外国嫌い」で、攘夷推進派のボスのような存在となっていました。

一体、
誰が権力を持っているのか・・・

ShogunとEmperorは
どっちが立場が上なのだ?

交渉しても、相手がコロコロ変わり、「誰が責任者か」がわからぬ事態に困惑するニール代理公使。

この国は、
共和国制に近い体制のようだが・・・

この不思議な状況で、
よく国が治まっているな。

これがJapanの
最大の特徴です。

とりあえず、英仏蘭米の艦隊を
横浜に集め、江戸に向けろ!

アジアの連中は
圧力かければ良いだろう!

直ちに
各国と折衝して、圧力をかけます!

英仏蘭米の四カ国が横浜に集まってきました。

「寂れた漁村を外国人居留地にした」当時の横浜は、急速に発展していました。

その横浜に、数多くの艦隊が集結しました。

今も昔も欧米から見たら「不思議な曖昧さ」がある日本の政治。

現代は「日本政府の立場」は明確であるも、大抵は「先送り」で何事も曖昧な日本政府。

当時はさらに「統治機構すら明確でない」状況の中、諸外国も日本への対応に苦慮しました。

結局は
武力なのだ!

その結果、「武力」が前面に出てくることになったのです。

新地球紀行

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