前回は「日英の友好 12〜生麦事件と英国外交官〜」の話でした。

生麦事件で、自国の民間人4名が襲われた世界一の大英帝国。
英国人1名が亡くなり、2名が重症、女性1人軽症を追います。

おのれ・・・
怒り心頭のニール駐日代理公使。





まずは、事態をしっかり
把握します。
日本語に堪能で、日本通のアーネスト・サトウは、各地で情報を集めます。
生麦事件の実態が、段々分かってきました。


4名の英国人は、当時頻発していた外国人襲撃もあり、危険を察知してすぐに馬首を返したのです。
しかし、薩摩藩士は問答無用で斬りかかりました。
亡くなった一人の英国人男性リチャードソンは、逃げたにも関わらず追いかけられ、とどめを刺されました。



これは、流石に
野蛮すぎる・・・
「大の日本贔屓」のアーネスト・サトウですら、あまりの事態に驚愕します。



しかし、Satsumaは
Japanで幕府に次ぐ強国だ・・・
そして、ニール代理公使に献策します。



まずは犯人引き渡しの
要求をTokugawaとSatsumaにしましょう。



うむ。



任せた。
まずは、幕府の外国奉行・津田正路と交渉を開始します。


そして、その間に大英帝国本国へ連絡して、ラッセル外相の指示を待ちます。



Japanの政治状況は
共和国制に近いようだ。



まずは、日本政府である
Tokugawaに要求するのが筋だろう。



謝罪と10万ポンドを要求せよ。



承知しました。



犯人引き渡しは、
Tokugawaでは出来ないだろう。



引き渡しは、Satsumaに
直接圧力をかけよ。



ははっ。
こうして「謝罪+10万ポンド」を要求された徳川幕府。


将軍・家茂は、政情不安定となっていた今日におり、もともと統治能力も大してありませんでした。


強権を振るった大老 井伊直弼は、2年前の「桜田門外の変」で暗殺されています。
大英帝国のようにピラミッド型のしっかりした政治機構とは対照的に、徳川幕府の政治機構が曖昧な状況でした。


さらに孝明天皇は「大の外国嫌い」で、攘夷推進派のボスのような存在となっていました。



一体、
誰が権力を持っているのか・・・
交渉しても、相手がコロコロ変わり、「誰が責任者か」がわからぬ事態に困惑するニール代理公使。



この国は、
共和国制に近い体制のようだが・・・



この不思議な状況で、
よく国が治まっているな。



これがJapanの
最大の特徴です。



とりあえず、英仏蘭米の艦隊を
横浜に集め、江戸に向けろ。



アジアの連中は
圧力かければ良いだろう。



わかりました。
英仏蘭米の四カ国が横浜に集まってきました。
「寂れた漁村を外国人居留地にした」当時の横浜は、急速に発展していました。
その横浜に、数多くの艦隊が集結しました。