日英の友好 8〜英国と幕府・長州〜|外交

前回は「英国と友好深めよう 7〜英国と幕府・長州〜」の話でした。

Sir Rutherford Alcock英国公使(Wilipedia)

世界中に進出し、日本の幕末当時は世界最強の国だった大英帝国。

1921年の大英帝国の版図(Wikipedia)

幕末から50年ほど先の1921年には、上の地図のような広大な領土を有していました。

アフリカ・インドを植民地とし、現在のオーストラリア・カナダまでも植民地としていました。

そして、東へ東へと進出して、アジアに至ります。

当時GDPで世界一だったのは、清国(中国)でした。

その中国に対して、経済的旨味を求めた結果、大英帝国はアヘン戦争という強硬策に出ます。

アヘン戦争(Wikipedia)

Japaneseというのが、
いまいちよく分からない。

彼らは、Chineseと
容姿が似ている。

我々、西欧人から見たら、
JapaneseとChineseの見分けがつかん。

Thomas Blake Glover(グラバー園)

性格は大きく異なります。

特に、Samuraiは誇りを傷つけられると、
激昂する傾向があります。

うむ。
我が大英帝国に喧嘩を売ってきたな。

Japanは遠いため、
征服するのは大変です。

Satsuma(薩摩)との戦いでは、
思いの外、苦戦したな・・・

Japanは混乱していますが・・・

上手く交易するのが良いかと・・・

うむ。
Satsumaに武器・弾薬をどんどん売るのだ!

お任せを。

第一次長州征討後、しばらく様子をみて、薩摩とは積極的に付き合う大英帝国。

Satsumaは、
なかなかの経済力を持っている。

さらに、クライアントを
増やしたい。

ここで、大人しめだった長州藩に大きな転機が訪れます。

長州藩士 高杉晋作(国立国会図書館)

ここで、長州の高杉晋作が大きく力を盛り返したのです。

ゆけ、ゆけ〜!

奇兵隊を創設した高杉晋作。

多くは民衆だった奇兵隊を率いて、長州の実権を握ります。

この動きに敏感になっていた人物がいました。

禁裏御守衛総督 徳川慶喜(Wikipedia)

また長州か・・・

長州は、
放っておけんな・・・

古来から諜報機関が充実していた大英帝国。

「新たな合戦の気配」を感じとります。

また、Japanで戦争が
起きそうだな。

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