交錯するアジアの視線〜岸田首相ウクライナ訪問・ロシアと中国・台湾の動き〜|ウクライナ戦争

前回は「ロシアと中国の協力と世界|ウクライナ戦争」の話でした。

左上から時計回りに、岸田首相、Vladimir Putin露大統領、Volodymyr Zelenskyウ大統領、Xi Jinping(習近平)中国家主席(Wikipedia)
目次

岸田首相:ウクライナ訪問

岸田首相がウクライナを訪問しました。

突然の岸田首相のウクライナ直接訪問ですが、少し遅すぎたくらいです。

G7首脳で「ウクライナを訪問していなかったのは、日本だけ」だからです。

一方で、この岸田首相のウクライナ訪問は、非常に象徴的なことでもあります。

左上から時計回りに Adolf Hitler独総統、Winston Churchill英首相、Franklin Roosebelt米大統領、東條英機首相(Wikipedia)

それは、「第二次世界大戦後に日本の総理大臣が戦闘継続国・地域訪問する」のが「初めて」ということです。

実に78年ぶりに、日本にとっては大きな事態となりました。

Xi Jinping(習近平)中国家主席:ロシア訪問

さらに象徴的なことは、Xi Jinping(習近平)中国家主席のロシア訪問と同時期であったことです。

ロシアを訪問し、Putin露大統領と会談したXi Jinping(習近平)中国家主席。

互いに「親愛なる友人」と呼び続けた両首脳。

Russiaは
親愛なる友人。

Chinaは
親愛なる友人。

彼らが「親愛なる友人」であることは、全世界がすでに了解していることです。

それを「殊更主張・強調する」両首脳には、非常に強い「中露同盟強化」の思いが表れています。

1941年ヨーロッパ・アジア支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

第二次世界大戦の日本(大日本帝国)

大日本帝国の最大勢力地域と敗戦時の勢力地域(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

第二次世界大戦中の1942年頃に最大となった日本の勢力圏・版図。

そして、米国によって徹底的に叩きのめされた日本。

最後は日本全国が焦土となり、日本は1945年に敗戦を迎えました。

その後、急速な復興・経済成長と共に、科学技術力などでも世界一となった日本。

敗戦後はずっと「戦争はタブー」として、「なかった歴史」かのように扱ってきました。

第二次世界大戦後も、世界各地では戦争・紛争が起きており、ついに2022年ウクライナ戦争勃発に至りました。

1945年の敗戦から78年間、「戦地とは接しない」姿勢を続けてきた日本政府。

まるで「戦地と日本(政府)の間に極めて強大なバリアがある」かのようでした。

この「極めて強大なバリア」は日本人でなければ分からないかもしれません。

遅まきながら、そのバリアを突破した岸田首相。

さらに、Xi Jinping(習近平)中国家主席の訪露にぶつけてきた日本政府の強い姿勢。

左上から時計回りにXi Jinping(習近平)中国家主席、Yoon Suk Yeol韓国大統領、岸田首相、Tsai Ing-wen(蔡英文) 台湾総統(Wikipedia)

台湾の動き

呼応するかのように「日本の極めて大事な国家」である台湾も動き出しました。

Tsai Ing-wen(蔡英文) 台湾総統が、訪米する方針が発表されました。

積極的に外交し、気軽に対面で協議するのが「当たり前」の欧米首脳。

それを横目に「見えないバリア」に妨害されてきた日本・台湾などのアジアの首脳。

岸田首相のウクライナ訪問が、日本が80年近く帯びてきた「戦争アレルギーバリア」の突破につながるか。

それは、岸田首相及び日本政府の今後の姿勢次第でもあります。

日本を80年近くがんじがらめにしてきた「戦争アレルギーバリア」という「見えないバリア」。

そして、ついに日本による「見えないバリア」突破への大いなる「小さな第一歩」となりました。

この「小さな第一歩」は、アジア・太平洋のみならず世界にも大きな影響をもたらすかもしれません。

新地球紀行

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