前回は「閣僚と統帥部全員が賛成した「対米開戦」決議〜苦衷説明した東條首相・戦火を広げたナチスドイツと大日本帝国・「悪役」枢軸国コンビ〜」の話でした。
「機動部隊出撃」知らなった東郷外相:大本営と帝国政府の断絶

東條英機(架空)米国とは
戦争するしかない!
一般的な認識としては、このように東條英機首相が「強引に日米戦争に持っていった」です。


対米開戦時、敗戦時に外相であった東郷茂徳の回想録である「時代の一面」があります。
「時代の一面」というタイトル通り、東郷は「東郷の視点」から当時の状況を克明に記録しました。
実は、対米開戦は「東條英機がゴリ押し」したのではなく、閣僚全員が「納得していた」のでした。





事ここに至っては、
矛を執って立つより外に途はないと思う。
一例として、原嘉道 枢密院議長は、このように言っていたのが現実でした。
穏健派代表の原枢密院議長までもが、「対米戦するしかない」と主張していました。



因みに十一月二十六日海軍機動部隊が
単冠湾を出発し、



南雲中将は、真珠湾を攻撃せよ、と命令を受けた
ということが、東京軍事裁判所法廷に明かにされたが、



自分達は此等の作戦行動については、
何等知らなかった。
「東京軍事裁判所法廷」とは、いわゆる「東京裁判」です。
ここで、東郷茂徳外務大臣は、驚愕の事実を語りました。





第一航空艦隊に
告ぐ!



十一月二十六日、真珠湾向けて
出撃せよ!



はっ・・・
御前会議で「対米戦を最終決定」した十二月一日以前に、機動部隊は既に出撃していました。
しかし、ここで山本長官は、



日米交渉妥結の際には、
引っ返してこい!



そんなこと
出来るはずがないが・・・



嫌なら、今すぐここで
辞表を出せ!



はっ・・・
このように、「日米交渉妥結」の時には、「機動部隊に引っ返す」ことを命じていた説が有力です。
しかし、東京裁判の時には、山本長官、南雲長官共に既に戦死しており、真相は闇です。
大本営と帝国政府は、「断絶状態にあった」と言っても過言ではない状況でした。
「文官無視」の統帥部のやり方:東京裁判で「記憶違い」か「嘘」か


山本五十六連合艦隊司令長官の命令を受け、既に真珠湾向けて出撃した機動部隊。


遥々、ハワイまで、飛行機ではなく、空母を主軸とした軍艦が攻め込んでゆきました。
当時は、前代未聞の「機動部隊による超大戦略」でした。
この「機動部隊の事前出撃」を、「奇襲攻撃後」ではなく「東京裁判で知った」東郷外相。



な、なにっ!
事前に機動部隊は出撃していたのか・・・
1941年11月26日の出来事を、戦後の1946年頃に知った東郷外相。



なぜ、なぜ、外相であった
私に知らせてくれなかった・・・
おそらく、東京裁判で東郷外相は、かなりの衝撃を受けたでしょう。



又、裁判所では、三十日の連絡会議に
真珠湾攻撃計画が忌憚なく論議せられたと云うが、



自分等は之につき、何も
知るところはなかった。
| 役職 | 名前 |
| 内閣総理大臣・陸軍大臣 | 東條英機 |
| 海軍大臣 | 嶋田繁太郎 |
| 外務大臣 | 東郷茂徳 |
| 参謀総長 | 杉山元 |
| 軍令部総長 | 永野修身 |
当時、「連絡会議」というごく簡単な名称であった会議は、帝国政府・大本営の最高意思決定機関でした。
「時代の一面」で東郷外相は、明記していませんが、



三十日の連絡会議に
真珠湾攻撃計画が忌憚なく論議せられた。
おそらく、永野修身軍令部総長が、東京裁判で「こう語った」と考えます。



右の如き、極秘の作戦事項につきては、
自分等文官には通報しないのが、



当時統帥部のやり方であったので、当時の事情を知っている者には、
直ちに了解せられることである。
更に、東郷茂徳は「それが統帥部のやり方だった」と、半ば痛烈に批判しました。
いずれにしても、国家の外相が「機動部隊の出撃を知らなかった」のは、かなり異常な状況でした。



右裁判所の認定が、東條が検事の取調中に
述べた所を基礎とするならば、



その頃の彼らの記憶には
少なからざる誤謬があったことは、



自分が法廷に於て、述べたとおりで
あることを指摘して足れりとする。
東郷外相は、「東條が言ったならば記憶がおかしい」とハッキリ述べていました。
「どちらかが嘘をついた」か「記憶が誤り」のどちらかです。
「時代の一面」を読むと、全体的に整合性が取れています。
すると、やはり「東郷外相が正しい」と筆者は考えます。

