前回は「終戦(敗戦)前後の大日本帝国〜政府と軍部の大混乱・国立公文書館”終戦”展と昭和天皇の詔書〜」の話でした。
「敗戦後80年」の意味:戦時中に存命だった人の急速な減少

今年2025年は、日本にとって「終戦後80年」の節目です。
「終戦後80年」は、ハッキリ表現すると「「敗戦後80年」です。
過去の歴史を考える時、「10年」という時間を一区切りに考えることは、ある程度有効です。
そして、我が国において平均寿命である81〜87年を考えると、「80年」という時間は重要です。
平均寿命は「「平均」であり、現在は100歳を超える人も多数います。
その一方で、平均寿命を考えると、「80年あまりで亡くなる人が多い」ことを示しています。
そのため、「敗戦後80年」は「戦時中に存命だった方が非常に少なくなる」時期にあたります。
大東亜戦争と第二次世界大戦

太平洋戦争、第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争など、いくつかの名称があるのが、この戦争です。
個人的には、筆者は日本国内では、「大東亜戦争」が最も適切と考えます。
それは、当時の大日本帝国が、「大東亜共栄圏」を目指した戦争で、「大東亜戦争」と名付けたからです。
対して、海外の人に対して、「大東亜=Daitoa,Daitoh-a」など説明しても、

Daitoaって
何?
「大東亜」という日本語的な名称は発音しづらく、外国の方には意味不明です。
そして、日本人にとって「大東亜の説明」は難しいです。
そのため、対外的には、「第二次世界大戦=Wolrd War 2」で統一すべきと考えます。
そもそも、太平洋戦争では、「米国とばかり戦争していた」イメージであり、不適切です。
確かに、当時の大日本帝国にとって日米戦争が主眼であり「米国に倒された事実」があります。
それでも、「太平洋戦争」は、この時の戦争を矮小化すると考えます。


同様に「アジア・太平洋戦争」の呼称もまた、「アジアと太平洋で戦争した」イメージです。
確かに、大日本帝国陸海軍は「主としてアジアと太平洋で戦争した」のは事実です。
その一方で、欧州のドイツ・イタリアと枢軸国を形成したのが歴史の事実です。
「メイン枢軸国の3カ国のうち2カ国が欧州」である以上、名称から「欧州を外す」のは間違いと考えます。
神風特別攻撃隊と敗戦:国立公文書館”終戦”展


国立公文書館東京本館で、2025年9月15日まで開催された”終戦”展を訪問しました。
ここでは、敗戦時の様々な貴重な記録が展示されていました。
中でも、特攻隊の記録は非常に重要であり、上のように「特攻隊の志願」に関する資料がありました。


特攻隊の記録で最も重要なのは、本人が「望んだ」か「熱望したか」と記載されています。



小久保予備少尉は
熱望!



大塚予備少尉は
望!
ここに記録されているのは、全員が「望」か「熱望」です。
そして、半分弱の割合で「熱望」です。
これは、神風特別攻撃隊という組織の運営上、「自ら望んだ」形式が必要であったことが理由です。
実際には、様々な将兵がいたはずで、



私は、
特攻隊を熱望します!
このように、「心から熱望して、国家を護ろうとした」若者も多数いたでしょう。



私も国家を護りたいが、
特攻か・・・



・・・・・



やむを得ないか・・・
望みます・・・
そして、「本意ではないが、やむを得ず望んだ」人もいるでしょう。



僕は国家を護りたいけど、
特攻はしたくない・・・



したくないけど、ここでは
「そう言う雰囲気」ではない・・・



・・・・・



特攻隊を・・・
の、望みます・・・
そして、「気が乗らないが、どうしようもなく望まざるを得なかった」人もいるでしょう。


陸海軍 | 特別攻撃隊出撃者数 | ||
陸軍 | 1,689人 | ||
海軍 | 4,156人 | ||
合計 | 5,845人 |
そして、多数の若者たちが神風特別攻撃隊として、出撃しました。
陸海軍 | 航空特攻による戦死者数 | ||
陸軍 | 1,417人 | ||
海軍 | 2,531人 | ||
合計 | 3,948人 |
そして、多数の将兵が散華しました。
タブー視されることが多く、あまり語られない神風特別攻撃隊。
敗戦から80年経過し、我々日本人はもう少し直視すべき時代になったと考えます。