神風特別攻撃隊と敗戦〜大東亜戦争と第二次世界大戦・「敗戦後80年」の意味・戦時中に存命だった人の急速な減少・国立公文書館”終戦”展〜|日本「敗戦の歴史」から未来へ2

前回は「終戦(敗戦)前後の大日本帝国〜政府と軍部の大混乱・国立公文書館”終戦”展と昭和天皇の詔書〜」の話でした。

目次

「敗戦後80年」の意味:戦時中に存命だった人の急速な減少

新地球紀行
1945年8月6日広島へ原爆投下(Wikipedia)

今年2025年は、日本にとって「終戦後80年」の節目です。

「終戦後80年」は、ハッキリ表現すると「「敗戦後80年」です。

過去の歴史を考える時、「10年」という時間を一区切りに考えることは、ある程度有効です。

そして、我が国において平均寿命である81〜87年を考えると、「80年」という時間は重要です。

平均寿命は「「平均」であり、現在は100歳を超える人も多数います。

その一方で、平均寿命を考えると、「80年あまりで亡くなる人が多い」ことを示しています。

そのため、「敗戦後80年」は「戦時中に存命だった方が非常に少なくなる」時期にあたります。

大東亜戦争と第二次世界大戦

New Global Voyage
靖国神社(新地球紀行)

太平洋戦争、第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争など、いくつかの名称があるのが、この戦争です。

個人的には、筆者は日本国内では、「大東亜戦争」が最も適切と考えます。

それは、当時の大日本帝国が、「大東亜共栄圏」を目指した戦争で、「大東亜戦争」と名付けたからです。

対して、海外の人に対して、「大東亜=Daitoa,Daitoh-a」など説明しても、

欧州人P

Daitoaって
何?

「大東亜」という日本語的な名称は発音しづらく、外国の方には意味不明です。

そして、日本人にとって「大東亜の説明」は難しいです。

そのため、対外的には、「第二次世界大戦=Wolrd War 2」で統一すべきと考えます。

そもそも、太平洋戦争では、「米国とばかり戦争していた」イメージであり、不適切です。

確かに、当時の大日本帝国にとって日米戦争が主眼であり「米国に倒された事実」があります。

それでも、「太平洋戦争」は、この時の戦争を矮小化すると考えます。

New Global Voyage
日独伊三国軍事同盟:上から時計回りに、Adolf Hitler独総統、東條英機 首相、Benito Mussolini伊首相(Wikipedia)

同様に「アジア・太平洋戦争」の呼称もまた、「アジアと太平洋で戦争した」イメージです。

確かに、大日本帝国陸海軍は「主としてアジアと太平洋で戦争した」のは事実です。

その一方で、欧州のドイツ・イタリアと枢軸国を形成したのが歴史の事実です。

「メイン枢軸国の3カ国のうち2カ国が欧州」である以上、名称から「欧州を外す」のは間違いと考えます。

神風特別攻撃隊と敗戦:国立公文書館”終戦”展

New Global Voyage
国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

国立公文書館東京本館で、2025年9月15日まで開催された”終戦”展を訪問しました。

ここでは、敗戦時の様々な貴重な記録が展示されていました。

中でも、特攻隊の記録は非常に重要であり、上のように「特攻隊の志願」に関する資料がありました。

New Global Voyage
国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

特攻隊の記録で最も重要なのは、本人が「望んだ」か「熱望したか」と記載されています。

神風特別攻撃隊の記録

小久保予備少尉は
熱望!

神風特別攻撃隊の記録

大塚予備少尉は
望!

ここに記録されているのは、全員が「望」か「熱望」です。

そして、半分弱の割合で「熱望」です。

これは、神風特別攻撃隊という組織の運営上、「自ら望んだ」形式が必要であったことが理由です。

実際には、様々な将兵がいたはずで、

特攻隊A

私は、
特攻隊を熱望します!

このように、「心から熱望して、国家を護ろうとした」若者も多数いたでしょう。

特攻隊B

私も国家を護りたいが、
特攻か・・・

特攻隊B

・・・・・

特攻隊B

やむを得ないか・・・
望みます・・・

そして、「本意ではないが、やむを得ず望んだ」人もいるでしょう。

特攻隊C

僕は国家を護りたいけど、
特攻はしたくない・・・

特攻隊C

したくないけど、ここでは
「そう言う雰囲気」ではない・・・

特攻隊C

・・・・・

特攻隊C

特攻隊を・・・
の、望みます・・・

そして、「気が乗らないが、どうしようもなく望まざるを得なかった」人もいるでしょう。

New Global Voyage
神風特別攻撃隊による米艦船への攻撃(Wikipedia)
陸海軍特別攻撃隊出撃者数
陸軍1,689人
海軍4,156人
合計5,845人
陸海軍特別攻撃隊出撃者数(諸説あり)

そして、多数の若者たちが神風特別攻撃隊として、出撃しました。

陸海軍航空特攻による戦死者数
陸軍1,417人
海軍2,531人
合計3,948人
陸海軍:航空特別攻撃隊による戦死者数(諸説あり)

そして、多数の将兵が散華しました。

タブー視されることが多く、あまり語られない神風特別攻撃隊。

敗戦から80年経過し、我々日本人はもう少し直視すべき時代になったと考えます。

New Global Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次