前回は「子どもの学ぶ意欲を削ぐ「絶対評価」〜妙に厳しい絶対評価の成績表・成績表の相対評価から絶対評価への変化・文科省の思惑〜」の話でした。
謎の「絶対評価」の「絶対的基準」:分かりにくい日本の教育界

我が国で「鳴物入り」で開始した「学校教育における相対評価から絶対評価への移行」。
1977年生まれの筆者にとって、評価とは「相対評価」が当然と考えています。
小学校のクラスなど「ある集団」の中で、「どの程度出来るのか」が成績によって判断される相対評価。
それに対して、文科省が推進している「絶対評価」は、

「クラスの中で、
どのくらいのレベル」ではなく・・・



「確固たる目標において、
どのくらいのレベル」へ!
「確固たる目標の中で、どの程度の出来か」が評価されます。
この「絶対評価」は、その「絶対的基準」にもよりますが、筆者の子どもが通っている小学校の通信簿を見ると、



なんだか、思ったより
「普通」が多いね・・・



テストは、まあまあ
良い点なのだけど・・・
算数や理科などのテストでは、まあまあの点数なので、もう少し良くてもよいのに、「普通」が多いです。



「絶対評価」の「絶対的基準」は
なんなのだろう・・・
「相対評価」に慣れた筆者の視線から見ると、「絶対評価」の「絶対的基準」が不明です。
とにかく、意味不明で分かりにくい「絶対評価」ですが、先日予想外のことがありました。
子どもの図工の作品の出来が良かったらしく、小学校で数名選抜されました。
そして、地域のコミュニティセンターで展示されたので、見に行きました。



なかなか
良いね・・・
流石に「選抜されている」だけあって、他の子の作品も大変出来が良く、



技巧の上手さよりも、
小学生らしい素直な表現がとても良いな・・・
絵や作品には「上手い、下手」がありますが、大事なのは「作品にかける思い」です。
この点で、小学生の子どもたちが作成する作品には、「小学生らしさ」があって清々しいです。
子どもが意欲を失う「絶対評価」:「学外展覧会出展」でも「普通」


小学生の子どもたちの、清々しく、勢いある作品を鑑賞して、その日は良い気持ちで帰りました。
その後、驚きの事態がありました。
なんと、「学外展覧会に選抜・学外展覧会に出展」であったのに、



えっ、図工の成績が
「普通」なの?!
「選抜されたレベル」であるはずの、筆者の子どもの図工の成績は「普通」でした。



ならば、いったい何を
すれば「良い」がつくのだろう・・・
これは、筆者の考えからすれば、「想定外」というよりも「謎」です。
「学外展覧会に選抜・学外展覧会に出展」であれば、5段階評価でも「5か4」です。
多くの場合で5が付くと考えますが、その期間の作品数にもよるので、「5か4」です。
それが、3段階であれば、「問答無用で3(良い)」であるべきと考えます。
この「謎に厳しい評価」である「絶対評価」は、子どもたちの意欲を削ぐだけです。
メリットは何もありません。
学習内容も重要ですが、「成績をつけられる」小学生〜高校生(大学生)にとって、



今回は、算数は
「普通」だった・・・



次回は、もっと
頑張って「良い」が欲しい・・・
「成績評価」は最重要事項です。



あんなに頑張ったのに
「普通」だった・・・



私って能力が
ないのかな・・・
厳しすぎる成績評価は、子どもたちが「学ぶ意欲」を失うだけです。
「意味不明」とも言える絶対評価に対しては、文科省は「基準を明らかにすべき」と考えます。
そして、早々に相対評価に戻すべきでしょう。