前回は「帝国政府と大本営が対等の「不思議すぎる政治機構」〜政府と軍のズレ・大元帥として軍部を統帥した昭和天皇・別の組織であった政府と大本営〜」の話でした。
帝国政府と大本営が驚愕したハル・ノート:米国の対日戦への思惑

1941年12月1日開催の御前会議で、正式に「対米戦開始」が決定。
ハル・ノートが大日本帝国に交付されたのが、同年11月26日でした。
ハル・ノートを見た東郷外務大臣は、

な、なんだ、
これは・・・



こんな回答が
米国から出てくるとは・・・



思いも
しなかった・・・



一体、今までの対米外交は
何だったんだ・・・
その内容の「あまりの苛烈さ」に絶句してしまいました。


ハル・ノートを見た、東條英機内閣総理大臣兼陸軍大臣。



対米戦開戦
やむなし、とは思っていた・・・
「陸軍の元締め」であった東條首相は、前内閣の近衛内閣からずっと「強硬派」であり続けました。
その後、近衛文麿が「内閣を投げ出した」後、昭和天皇の命令を受けて「対米協調路線」だった東條。



しかし、私が大命を
拝命してからは・・・



かなり、というか
ギリギリのラインまで妥協したつもりだ・・・
1941年10月18日に組閣してから、1ヶ月余りで飛び込んできたハル・ノート。





もはや、我がUnited Statesは、
Japanと戦争するのみ!
早々に、「対日戦」を決定していた米国。
その「対日戦決定時期」は諸説ありますが、1941年3月頃には「決定していた」と思われます。



なんとか、United Statesとは
仲良くしたいのです!



このNomuraの
英語は、全然分からんし・・・



御国と協調し、
石油禁輸などを撤回するには・・・



Kurusuの英語は分かりやすいが、
コイツはHitlerの仲間・・・
そもそも「対日戦を決定」し、「なんとなく協議するフリ」を続けていたハル長官。



そろそろ、Japanを
追い込む時期だな・・・
いよいよ、最終段階に入ることを1941年11月25日に決意しました。
非礼極まりない米国の文書:独立国に対する「要望」ではなく「命令」





よしっ!
そろそろJapanに、あの文書を出せ!



はっ、
承知しました!
「何事も準備万端」を期す米国は、「対日戦最後通牒」をすでに念入りに作成していました。
「すでに作成済み」ですが、内容は「独立国に対する文書」ではないレベルで、大変非礼でした。



あの内容の
ままで良いですか?



そうだ!
Japanの連中を戦争に追い込むのだ!
日本を「戦争に追い込む気」満々だったルーズベルト大統領。



良いから、
早く出せ!



はっ、
承知しました!
そして、日本時間1941年11月26日に、「比礼極まりない」ハル・ノートが米国から出されました。
1.日本軍の中国全土及び仏領インドシナからの撤兵
2.日独伊三国同盟の破棄
3.大日本帝国が満州事変以前の状態への復帰
他にも様々な要求がありましたが、最も重要なのは上記の三点でした。



Japanの軍は、中国全土及び
仏領インドシナからの撤兵しろ!



余計なお世話だが、
仏印は、やり過ぎたか・・・



だが、中国全土から撤退、
とは、我が陸軍をなんだと思っている?



Japanは、日独伊三国同盟を
破棄しろ!



・・・・・



独立国が、他の独立国と
締結した同盟の破棄を迫るとは・・・



信じられん
姿勢だ・・・



Japanは、
満州事変以前の状態へ戻れ!



お、おのれ・・・
満州などに対して、米国が厳しい姿勢は分かる・・・



だが、満州や様々な領土は、
我が同胞の血で得た土地・・・



それを、米国に言われて
「はい、分かりました」と撤退できるはずなかろう・・・
この「苛烈過ぎる」を超えて「非礼過ぎる」ハル・ノート。
この三つの項目のうち、「検討になる可能性がある」のは「1の部分的了承」のみでした。
2,3の項目に至っては、「独立国が独立国に伝える文書ではない」のが実態でした。



ふっふっふ・・・
これを言われては、堪らないだろう・・・



Japanは、我がUnited Statesとの
戦争に踏み切らざるを得まい・・・
どうしても「日本を対米戦に追い込みたかった」ルーズベルトとハルによるハル・ノート。
この文書の内容を見ると、その「どうしても追い込む」気持ちがよく分かります。



この文書を出されては、
我が外務省としては・・・
東郷外務大臣ら、対米外交関係者のメンツは丸潰れでした。
西側から見て、当時のナチスが「悪魔のような存在」であったにしても、



Japanは、Hitlerと
手を切れ!
独立国に対して、「同盟破棄を要請」は、あり得ません。
つまり、「要望」ではなく「命令」に近い文書だったのが、ハル・ノートでした。