前回は「事前に「対日戦」指示していた米国〜米海軍の動き・大日本帝国の生命線=Sea-Lane・潜水艦と航空隊による攻撃指令〜」の話でした。
日本海海戦の大勝利の影:帝国海軍の「日本近海迎撃作戦」

もともとは「対米戦に反対し続けていた」山本五十六。

米国と戦争しても、
絶対に勝てん!
駐在武官として、米国に長く滞在し、滞在時は意欲的に米国の油田などを見て回った山本は、



米国に勝てるかどうかを
考える前に・・・



テキサスの油田と、
デトロイトの自動車工場を見てこい!
当時の大日本帝国は、確かに「アジアのトップ」であり、世界の強国でした。
海軍では、米国に次いで「英国とNo.2でタイ」であり、陸軍は、米国、ドイツに次ぐNo.3でした。


真珠湾奇襲攻撃の際の海軍大臣は、山本と同期の嶋田繁太郎でした。



私は、海軍大臣に
なったばかりで・・・
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
29 | 米内 光政 | 元首相・元海相 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
32 | 嶋田 繁太郎 | 海軍大臣 |
のちに「東條副官」と陰口を叩かれる嶋田繁太郎は、おとなしめの人物でした。
さらに「海軍大臣になったばかり」で、海軍トップの状況を把握し切れていない状況でした。



帝国海軍のボスは
ワシだからな・・・
元首相の米内光政よりも「先輩」であり、海軍トップのすべての職の経験者である永野がトップでした。


日米関係が「緊張の極み」に入りつつある中、



米国と戦って、
海軍は勝てるのか?
昭和天皇から、対米戦の勝算を昭和天皇に下問された永野。



日露戦争のような
大勝利はないです・・・
「自称天才」ながら、切れ者であった永野は、日米の国力・海軍力を的確に判断していました。


日本海海戦が1905年に勃発し、対米戦開始の1941年は、36年が経過しています。



とにかく猛烈な訓練をして、
砲撃の命中度を上げる!



そして、万全の体制で
日本海でバルチック艦隊を迎撃だ!



私は、東郷平八郎が
最も連合艦隊司令長官に適していると考える!



東郷が前線で、思い切りできるように、
後方で支えるのだ!
「東郷平八郎 連合艦隊司令長官と山本権兵衛 海軍大臣」のコンビで大勝利した日本海海戦。
この頃、軍令部長(総長になる前)は、大幹部の伊東祐亨でしたが、山本権兵衛が海軍を握っていました。
この「日本海海戦の大勝利」の「日本近海迎撃作戦」が、帝国海軍のポリシー・軸となっていました。
山本長官が強行した「迎撃ポリシー」からの脱却:「打って出る」奇襲


「日本近海迎撃作戦」が、すべての作戦の軸となっていた大日本帝国海軍。



私自身も
日本海海戦で戦った・・・
海軍兵学校を出たばかりの山本(当時は高野)五十六少尉は、日本海海戦を戦いました。
のちに、名家・山本家を継ぐ高野五十六は、山本五十六に改名しますが、「山本」で通します。





一生懸命戦って、
名誉の負傷をしました!
まだ初々しかった山本五十六は、日本海海戦で、左手の中指と人差指を欠損する大怪我を負いました。
そして、砲術科に進み、「大砲屋」「鉄砲屋」と呼ばれる専門家になった山本は、



これからは、
飛行機の時代だ!
「航空と空母の未来」を的確に掴んで、海軍航空隊を育て上げました。



私が、帝国海軍の戦艦を
揃え、ロシアと戦えるように仕上げた!
「海軍育ての親」と呼ばれる山本権兵衛に対して、



海軍航空技術部長、航空本部長を
務め、航空隊を作り出したのだ!
山本五十六は「海軍航空隊生みの親」であり、



そして、海軍次官になっても、
航空隊主軸を推進した!
同時に「海軍航空隊育ての親」であった存在であり、「帝国海軍を変えた」のが山本五十六でした。
そして、「対米戦に反対し続けていた」にも関わらず、「対米戦の最前線指揮者」となった山本。



米国には勝てないが、
勝つ状況を作り出す責任がある・・・



米国の本土を攻撃するのは、
到底難しい・・・



だが、米国を緒戦で
一気呵成に叩いて・・・



米国に我が帝国海軍の強さを
見せつけて、意気消沈させ・・・



その上で、早期和解に
持ち込むしかない!
若い頃から優等生で、頭脳明晰であった山本長官は、このように考えました。
その結果が、



米太平洋艦隊の基地である
真珠湾を奇襲攻撃するしかない!



この作戦を認めていただけないなら、
連合艦隊司令長官を辞任する!
「真珠湾奇襲攻撃の大強行」でした。



山本長官・・・
我が帝国海軍は、迎撃作戦が軸です・・・



米海軍は航空隊と潜水艦で
攻撃して、打撃を与え・・・



然るのちに、日本海近海で
艦隊決戦に臨むのが、すべての軸です!



そんなことは
分かっている!



・・・・・
海軍兵学校時代から「優等生であり続けた」山本長官には、「釈迦に説法」でした。



ですから、はるばる遠い
真珠湾を奇襲というのは、ちょっと・・・



その「迎撃作戦」では、
これからは勝てんのだ!
そして、帝国海軍の「迎撃ポリシー」から一気に脱却した山本長官。



米海軍は、他のどの海軍とも
レベルが違うのだ!



日本海海戦の時の
バルチック艦隊とは、次元が違うのだ!
そして、「打って出る」奇襲攻撃を推進したのでした。





Japanは、次に
どう出てくるか、を・・・



Japanの無電を傍受し、
解読した資料から、読み取るのだ・・・
対して、米国は「山本の懸念通り」次元が違う体制で、全てを把握していたのでした。
次回は上記リンクです。