前回は「対日戦に「万全の手」を打った米国〜脆弱で貴重な空母退避へ・「慎重な諜報+極めて合理的発想」・筒抜けだった大日本帝国の暗号〜」の話でした。
事前に「対日戦」指示していた米国:米海軍の動き

いよいよ、大日本帝国海軍の連合艦隊が真珠湾を奇襲攻撃をする1941年12月8日に近づいてきました。
この頃、米海軍の戦略・戦術のトップであったのは、Stark米海軍作戦総長でした。
米海軍作戦総長は、大日本帝国海軍における軍令部総長と同格です。

当時、大日本帝国海軍では、永野修身が軍令部総長でした。
海軍兵学校卒業期 | 職責 | 名前 | ||
28 | 軍令部総長 | 永野修身 | ||
31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 | ||
32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 |
年功序列を明文化した「軍令承行令」が存在していた大日本帝国海軍において、永野は最年長でした。

なんと言っても、
天才であるワシが全て見なければな・・・
「自称天才」であった永野総長が「最年長」であったことは、「軍政より軍令が強力」の証拠でした。



私がUnited Statesの
海軍の戦略を全て統括する!
英語訳から「米海軍作戦部長」と呼ばれることが多いですが、米海軍作戦総長が適切と考えます。





Stark総長よ・・・
Roosebelt大統領からの指令です。



Hawaii在伯の空母は、
退避させてもらいたい・・・



分かりました・・・
二隻おりますので、退避させましょう・・・
この頃、米国は完全に「対日戦モード」に入っていました。



Japanの暗号は、
ほぼ全て傍受・解読できている・・・



そろそろ、Japanが攻撃を
仕掛けてきて、戦争が始まるだろう・・・



あとは、陸軍長官と海軍長官に
お任せするが・・・



Japanの海軍への
具体的対策もしていただきたい!



分かりました・・・
全て手を打ちましょう・・・
大日本帝国の生命線=Sea-Lane:潜水艦と航空隊による攻撃指令







まずは、空母Lexingtonと
Enterpriseは、真珠湾から退避させよ!



はっ!
空母は付近に移動させます!
スターク作戦総長は、太平洋艦隊司令部に「空母退避」の司令を出しました。


1941年11月26日に、単冠湾からハワイ真珠湾めがけて出撃した第一航空艦隊(機動部隊)。
実は、まさにこの日にスターク作戦総長は、重大な司令を発していました。



もし、JapanとUnited Statesの間で
本格的戦争が発生した場合は・・・



極東地域における枢軸国の
船舶に対して、攻撃せよ!



攻撃は、潜水艦と航空隊により、
無制限に行うのだ!
つまり、この時点で「明確に米国は対日戦」を意識していました。


そして、すでに日本を仮想敵国として「オレンジ計画」をまとめていた米国。



Japanは、なんと言っても
多数の国民がいながら、資源がほとんどない・・・
大日本帝国の最も弱い部分であった「資源がない」ことを、明確に意識していました。
原油をはじめとした資源、そして食料も「うなるほど自国内で生産可能」である米国。



Japanは、周辺を占領したところで、
自国へは海上で輸送するしか、方法はない・・・



だから、その海上輸送補給路である
Sea-Laneを潰せば、Japanは終わりだ・・・
「Sea Laneこそ、大日本帝国の生命線」であり、それを攻撃することを考えていた米国。
ここで、スターク作戦総長が、



攻撃は、潜水艦と航空隊により、
無制限に行うのだ!
「無制限に攻撃する」と言っているのは、



相手が商戦であろうと、なんであろうと、
とにかく潜水艦と航空隊で攻撃せよ!
軍艦以外の民間の商船等でも、「攻撃せよ」という指令でした。
この点で、米国は「日本の出方を待っていた」状況を遥かに超えた体制でした。
米国は「対日戦を万全に準備していた」というよりも、「対日戦を事実上開始していた」のでした。
次回は上記リンクです。