前回は「2024パリ五輪開会式の演出の意味〜強烈なフランスのプライド・徳川幕府が頼ったフランス帝国・フランス革命と現代フランス〜」の話でした。
「血生臭い歴史」を世界へ発信した2024パリ五輪開会式

2024年パリ五輪では、日本勢は目覚ましいほどの大活躍をしました。
メダルのランキングには、いくつかの考え方がありますが、まずは金メダルの数です。
この中、「金メダル20個・合計で45個」で堂々の第三位となった日本勢には、大きは賞賛を送りたいです。
一位の米国、二位の中国は「他国を圧する勢い」で、さすがの強さを見せつけました。
英国・フランス・オーストラリアは、合計数では日本を上回りましたが、金メダル数で抑えた日本。
多くの日本人の方が、「ここまで高いランキングを想定はしていなかった」ほど好成績でした。

我がFranceの
プライドを見せつけよ!
この中、大きな物議を醸し出した「マリー・アントワネットの生首」の演出。



我がFranceの
「血生臭い歴史」を世界へ!
「マリー・アントワネットのギロチン」は、多くの方が知っている歴史です。
それでも、「知らない方も一定数いた」はずなのに、「わざわざ演出して知らしめた」フランス。



我がFranceは
このような闘争を経て、現代に至るのだ!



我がFranceという国家・歴史を
世界に見せつけるのだ!
マクロン大統領やフランス政府幹部は、こう考えて「敢えて踏み切った」のでしょう。



平和なスポーツの祭典で、
なぜ「生首」が登場するのだ?



さすがに、
「マリー・アントワネットの生首」はないのでは・・・
さすがに「ネガティブな反響」が強すぎたこともあり、公式サイト等からは現時点で削除されています。
様々な意見はあるでしょうが、「わざわざ王妃の生首を演出」したフランスの姿勢。
この「強すぎる姿勢」もまた、「混迷極める欧州」におけるフランスの国家戦略なのでしょう。
「晒し首」が明治時代にもあった日本:明治六年の政変と佐賀の乱


「ギロチン」は基本的に歴史上存在してこなかった日本では、



若き王妃のギロチンなんて、
なんて酷いことを!



いくら「革命」とは言え、
王族、しかも30代の女性をギロチンなんて・・・
この様に「超ネガティブな意見」が多く聞かれました。
確かに、「若い女性を公衆の面前でギロチン」は、日本人の感性には全く合いません。
一方で、西洋・欧州などから見れば、



Japaneseは、昔
Harakiri(腹切、切腹)があったらしいが・・・



ああ、Harakiri(腹切、切腹)は、
どうしても理解できないな・・・
と、日本の切腹に対する嫌悪感が見受けられるようです。
ギロチンにしても、切腹にしても、比較的平和な現代においては「遠い昔」に感じられます。
「公衆の面前でギロチン」のフランスに対して、日本では「梟首(晒し首)」がありました。



晒し首って、
戦国時代とか大昔でしょ・・・
こういう声が聞こえてきそうですが、「梟首(晒し首)」は実は明治時代にもありました。


明治六年の政変によって、当時の明治政府の幹部の過半数が下野した大事件が1873年に勃発。



一度閣議で決定したことを
覆すとは!!



これは、メチャクチャであって
話にならん!
「征韓論争」と表現されることが多いこの大事件は、実は「政府内の内部抗争」でした。
この結果、本人の思いは不明な点が多いですが、いち早く佐賀の江藤新平が動きました。



佐賀から明治維新を
もう一度!
佐賀で決起した江藤ら一派は、「佐賀の乱」を起こしました。





賊・江藤らを
叩き潰すのだ!
ここで、当時の総理大臣格であった内務卿・大久保利通が、鎮圧に乗り込んできました。



佐賀鎮圧に関する
明治新政府の全権を持っているのだ!
さらに新政府軍の「全権を委任された」大久保は、全ての権限で江藤たちを潰しました。



ま、
負けたか・・・
ここで、現代の日本の感覚ならば「裁判へ」ですが、



江藤の裁判は
私が指揮する!
「公平な裁判」どころか、「大久保の一存の裁判」が決行された結果、



江藤は斬首
とする!
元士族であり、一度は国家の要・参議を務めた江藤に対して斬首が決定。



さらに江藤は斬首の上、
梟首!
さらに「梟首(晒し首)」が決定し、本当に「晒し首」となってしまった江藤。
1873年、明治6年のことで、まだ150年ほど昔に過ぎません。
この歴史を考えると、世界大戦等戦争以外の国内に限っても「血生臭い歴史」がある日本。
「マリー・アントワネットの生首」を、一方的に「残虐で卑劣」とは言えないのではないでしょうか。
次回は上記リンクです。