前回は「林則徐欽差大臣登場〜19世紀の欧米列強のアジアを見下す姿勢・激怒した林則徐・大英帝国の反撃・交渉決裂から強行姿勢へ〜」の話でした。
「中華思想」の清国の世界への姿勢

堂々とアヘンを売り捌く大英帝国に対して、毅然とした姿勢を示した道光皇帝。
大英帝国は、中国産のお茶で自国の銀が大流出していたのを「アヘンで取り戻す」戦略でした。

清→大英帝国 | 茶 |
大英帝国→インド | 綿製品 |
インド→清 | アヘン |
中国からのお茶が大流行した大英帝国では、大量の銀河中国に流れていました。
そして、大英帝国は、当時進出していたインドを経由して、アヘンを中国に持ち込みました。

そして、「国内から流出していた銀が再び大英帝国に戻ってくる」スキームを編み出したのでした。
これに対して、道光皇帝は激怒しました。

おのれ、
我が清国に対して・・・
当時、世界最大の人口とGDPを有し、文明の最先端にいたと思われる清国。
「清国はアジアのボス・盟主」であるという「中華思想」を色濃く持っていました。



我が清国が、
欧州と貿易してやっているのだ!



そもそも、我が国は
国土も広く、資源も食糧もたくさんある!



欧州と貿易しているのは、
我が国の文物を「恵んでやっている」のだ!
このような「超上から目線」の高飛車な姿勢を持っていた清国。
それに対して、大英帝国などの欧州は、



まあ、実際には文明は、
我らの方が遥かに進んでいるんだが・・・
中国に対しては、このように思っていたのが実態でした。
なんと言っても、大英帝国は産業革命の総本山でした。



だが、Chinaの膨大なGDPと
人口は大事だ・・・
お互いプライドとプライドが衝突する中、ある「会社」がアジアで暴れ回っていました。
その「謎の会社」の正体は、東インド会社でした。
海を制圧した大英帝国:世界一周果たしたフランシスドレーク


1500年代から、「海の支配者」を目指した大英帝国。
「海へ海へ」という意識のもと、大航海時代を先導します。
そして、イングランド海軍提督であったFrancis Drake。
正式なイングランド海軍提督・海軍中将でありながら、もと海賊でもあります。



進め!
世界一周へ!
航海技術が最先端のイングランドとはいえ、現代よりは遥かに劣ります。
その「現代より劣る」航海技術で世界一周へ乗り出したのが、Francis Drake海軍中将だったのです。
現代考えるよりも、遥かに危険な航海。
それでも、



全然
怖くないぜ!
イングランドの「国家としての期待」を背負って、Francis Drake海軍中将は世界一周へ乗り出しました。
Francis Drake海軍中将の「異常な積極性」は、海賊ならではだったのでしょう。





俺が世界一周
したぜ!
そして、本当に世界一周したFrancis Drake海軍中将。
その航路には現代の中国・日本は含まれていませんでした。
アジア太平洋地域は、現代のインドネシア付近を通っていました。
これは、Francis Drake海軍中将たちが、太平洋を東から西へ横断したことを考えると合理的でした。



Japan?
よく知らないが・・・
この頃は、まだまだ日本は、世界の中心である欧州に知られていない国でした。
東方見聞録と黄金の国ジパング:マルコポーロとクビライ


このFrancis Drake海軍中将たちの世界一周を遡ること300年ほど前。
当時、欧州で非常に強い力を持っていたヴェネツィア共和国。
そのヴェネツィア共和国の商人であり冒険家でもあったMarco Poloが、長い長い旅に出ました。
1271年から1295年の24年もの「長き旅」でした。


当時、中国はモンゴル人が建国した「元」でした。
元の皇帝クビライに非常に気に入られた、商人Marco Polo。





世界最強の
モンゴル帝国へようこそ・・・



気に入られすぎて、
元で長居してしまった・・・
現代で考えても、非常に「大きな旅」を成し遂げた商人Marco Polo。



黄金の国
Jipang!
日本を「黄金の国ジパング」と紹介しました。
ところが、Marco Poloは、実は日本へは行っていません。



実はJipangには
行ったことがないのだけれど・・・



私は中央Asiaから
東Asiaまで、この目で見てきた・・・



だから、海の向こうの
Jipangのことは、だいたい想像できるのです・・・
アジアは元の各都市・街を見て回りましたが、日本海の向こうの日本には全然行っていなかったのです。
ちょうどMarco Poloが元を周遊していた頃、元寇がありました。



Japanは簡単に
征服出来ると思っていたが・・・



まさか、二度も
失敗して、世界最強の我が軍が敗退するとは・・・
日本征服に失敗した元(モンゴル帝国)皇帝Khubilaiとしては、



Japan(JIPANG)など、
行かんで良い!
日本に対する「複雑な感情」があったのかもしれません。
いずれにしても、この頃は世界にとって「日本は、とても遠い未知の国」だったのでした。
次回は上記リンクです。