前回は「女子中学生のメンタリティの幼すぎる新人議員たち〜間抜けな「議場内撮影」・当たり前の「信賞必罰」がない曖昧な日本・国会は日本の行方を決定する場〜」の話でした。
極めて意義深い「天皇皇后両陛下の硫黄島訪問」

本日、2025年4月7日に、天皇、皇后両陛下が硫黄島を訪問します。
第二次世界大戦・大東亜戦争の趙激戦地であった東京・小笠原諸島の硫黄島。

本土から約1200キロ南に位置する、遠い島・硫黄島。
天皇皇后両陛下は硫黄島を訪問し、島内の3カ所で拝礼し、戦没者遺族らとの面会にも臨まれる予定です。
前回、硫黄島を現天皇皇后両陛下が訪問したのは、1994年のことです。
上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下)が訪問して以来、天皇皇后陛下が硫黄島を訪れるのは31年ぶりです。
戦後80年にあたり、両陛下の慰霊の旅が行われる事は極めて意義深いと考えます。
死闘を超えた「超絶死闘」だった硫黄島の戦い:「先の大戦」ではなく

この硫黄島で「絶望的な戦い」が行われたのは、1945年2月19日から3月26日でした。
当時、大日本帝国では、すでに米国中心とする連合国に敗北は、ほぼ確定する中、

なんとしてでも、
米軍を叩き、大きなダメージを与えるのだ!
陸海軍の大本営では、「米軍に痛恨の打撃」を与えることを史上命題としていました。
ちょうど、この時期には、沖縄でも米軍との死闘が始まった頃で、



絶対国防圏を破られ、
いよいよ内地(ないち)での戦いだ・・・


第二次世界大戦初期に、信じられないほど広大な領土を占領した大日本帝国。
その後、米陸海軍に押され続け、領土は徐々に減少し、絶対国防圏と定めたサイパンなども失いました。
領土を奪還されることは、当時の大日本帝国にとっては「全ての領土を失うことが痛恨」でしたが、



内地(ないち)での戦いは、
他のエリアでの戦いとは全く違う・・・
日本固有の領土である沖縄や硫黄島などの諸島での戦いは、「真の日本の領土」でした。



なんとしても沖縄も
硫黄島も死守するのだ!


そして、神風特別攻撃隊を多数出撃させ、戦艦大和も沖縄向けて「海上特攻」しました。



まあIwo-Jimaでの
Japanとの戦いは5日くらいか・・・
「5日ほどで制圧可能」と考えていた、米海兵隊を主軸とした米軍が硫黄島を攻めました。
この「5日で制圧」は、当時の大日本帝国が「見くびられていた」のではありません。
米軍の圧倒的な物量によって、日米で「それほど巨大な差がついていた」のでした。





絶望的な戦いだが、
なんとしても、米軍を叩く!
栗林司令官率いる大日本帝国陸海軍が20,000名ほどで、硫黄島を守りました。
そして、約40日の間、「死闘」を超えた「超絶死闘」が行われたのが、この島でした。



まさか、
これほどの時間がかかるとは・・・



そして、まさか、
これほどの損害が出るとは・・・
日米戦において、ただ一つ「米軍の方が死傷者が多い」戦いとなったのが、硫黄島の戦いでした。
死者 | 負傷者 | |
大日本帝国軍 | 約20,000名 | 1,033名(捕虜) |
米軍 | 6,821名 | 21,865名 |
死者と負傷者では、死者の方が重いので、本来ならば「死者数での比較」になります。
ただ、「死者数での比較」では、米軍の方が分があるのは当然であり、「死傷者数での比較」となります。
日本のメディアでは、



先の大戦から、
戦後80年となり・・・
このように、曖昧に濁した「先の大戦」という言葉が用いられることが多いです。
戦後(敗戦後)80年となり、「第二次世界大戦」とハッキリ言うべきでしょう。
この戦争に関しては、他に大東亜戦争・太平洋戦争・アジア太平洋戦争などの呼称があります。
ただ、世界共通認識としては、「第二次世界大戦」であるべきと考えます。
日本メディアは「先の大戦」や「あの戦争」のように、「極めて曖昧な表現」とはせず、



第二次世界大戦から、
戦後80年となり・・・
少なくとも「第二次世界大戦での硫黄島の戦い」と言うべきでしょう。
「先の大戦」や「あの戦争」では、子どもたちへの教育上も良くないと考えます。