極めて意義深い「天皇皇后両陛下の硫黄島訪問」〜死闘を超えた「超絶死闘」だった硫黄島の戦い・「先の大戦」ではなく〜|2025日本の歴史と未来

前回は「女子中学生のメンタリティの幼すぎる新人議員たち〜間抜けな「議場内撮影」・当たり前の「信賞必罰」がない曖昧な日本・国会は日本の行方を決定する場〜」の話でした。

目次

極めて意義深い「天皇皇后両陛下の硫黄島訪問」

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天皇陛下(Wikipedia)

本日、2025年4月7日に、天皇、皇后両陛下が硫黄島を訪問します。

第二次世界大戦・大東亜戦争の趙激戦地であった東京・小笠原諸島の硫黄島。

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硫黄島の位置(Wikipedia)

本土から約1200キロ南に位置する、遠い島・硫黄島。

天皇皇后両陛下は硫黄島を訪問し、島内の3カ所で拝礼し、戦没者遺族らとの面会にも臨まれる予定です。

前回、硫黄島を現天皇皇后両陛下が訪問したのは、1994年のことです。

上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下)が訪問して以来、天皇皇后陛下が硫黄島を訪れるのは31年ぶりです。

戦後80年にあたり、両陛下の慰霊の旅が行われる事は極めて意義深いと考えます。

死闘を超えた「超絶死闘」だった硫黄島の戦い:「先の大戦」ではなく

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摺鉢山へ砲撃を加える米軍(WIkipedia)

この硫黄島で「絶望的な戦い」が行われたのは、1945年2月19日から3月26日でした。

当時、大日本帝国では、すでに米国中心とする連合国に敗北は、ほぼ確定する中、

大日本帝国

なんとしてでも、
米軍を叩き、大きなダメージを与えるのだ!

陸海軍の大本営では、「米軍に痛恨の打撃」を与えることを史上命題としていました。

ちょうど、この時期には、沖縄でも米軍との死闘が始まった頃で、

大日本帝国

絶対国防圏を破られ、
いよいよ内地(ないち)での戦いだ・・・

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大日本帝国の進出(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

第二次世界大戦初期に、信じられないほど広大な領土を占領した大日本帝国。

その後、米陸海軍に押され続け、領土は徐々に減少し、絶対国防圏と定めたサイパンなども失いました。

領土を奪還されることは、当時の大日本帝国にとっては「全ての領土を失うことが痛恨」でしたが、

大日本帝国

内地(ないち)での戦いは、
他のエリアでの戦いとは全く違う・・・

日本固有の領土である沖縄や硫黄島などの諸島での戦いは、「真の日本の領土」でした。

大日本帝国

なんとしても沖縄も
硫黄島も死守するのだ!

新地球紀行
戦艦大和(Wikipedia)

そして、神風特別攻撃隊を多数出撃させ、戦艦大和も沖縄向けて「海上特攻」しました。

米軍

まあIwo-Jimaでの
Japanとの戦いは5日くらいか・・・

「5日ほどで制圧可能」と考えていた、米海兵隊を主軸とした米軍が硫黄島を攻めました。

この「5日で制圧」は、当時の大日本帝国が「見くびられていた」のではありません。

米軍の圧倒的な物量によって、日米で「それほど巨大な差がついていた」のでした。

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栗林忠道 司令官(Wikipedia)
栗林忠道

絶望的な戦いだが、
なんとしても、米軍を叩く!

栗林司令官率いる大日本帝国陸海軍が20,000名ほどで、硫黄島を守りました。

そして、約40日の間、「死闘」を超えた「超絶死闘」が行われたのが、この島でした。

米軍

まさか、
これほどの時間がかかるとは・・・

米軍

そして、まさか、
これほどの損害が出るとは・・・

日米戦において、ただ一つ「米軍の方が死傷者が多い」戦いとなったのが、硫黄島の戦いでした。

死者負傷者
大日本帝国軍約20,000名1,033名(捕虜)
米軍6,821名21,865名
硫黄島の戦いでの日米軍被害

死者と負傷者では、死者の方が重いので、本来ならば「死者数での比較」になります。

ただ、「死者数での比較」では、米軍の方が分があるのは当然であり、「死傷者数での比較」となります。

日本のメディアでは、

日本メディアA

先の大戦から、
戦後80年となり・・・

このように、曖昧に濁した「先の大戦」という言葉が用いられることが多いです。

戦後(敗戦後)80年となり、「第二次世界大戦」とハッキリ言うべきでしょう。

この戦争に関しては、他に大東亜戦争・太平洋戦争・アジア太平洋戦争などの呼称があります。

ただ、世界共通認識としては、「第二次世界大戦」であるべきと考えます。

日本メディアは「先の大戦」や「あの戦争」のように、「極めて曖昧な表現」とはせず、

日本メディアB(本来の姿)

第二次世界大戦から、
戦後80年となり・・・

少なくとも「第二次世界大戦での硫黄島の戦い」と言うべきでしょう。

「先の大戦」や「あの戦争」では、子どもたちへの教育上も良くないと考えます。

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