前回は「中世・騎士の個人戦闘を「暗黒時代」と切った石原〜蒋介石に送ったエール・政治力と軍事的組織・「机上の空論」ではない石原「戦争の性質」〜」の話でした。
「陸軍士官学校随一の頭脳」石原莞爾:東大より難関だった陸士と海兵

引き続き、石原莞爾による「最終戦争論」を読み解いて行きたいと思います。

現在は、日本では軍隊が廃止され、自衛隊が国家を守り、自衛隊の幹部養成機関が防衛大学です。
| 設置年 | 大学名 |
| 1868年 | 陸軍士官学校(前身の兵学校) |
| 1869年 | 海軍兵学校(前身の海軍操練所) |
| 1877年 | 東京帝国大学(帝国大学) |
| 1897年 | 京都帝国大学 |
| 1907年 | 東北帝国大学 |
| 1911年 | 九州帝国大学 |
| 1918年 | 北海道帝国大学 |
| 1924年 | 京城帝国大学(韓国、のちに廃止) |
| 1928年 | 台北帝国大学(台湾、のちに廃止) |
| 1931年 | 大阪帝国大学 |
| 1939年 | 名古屋帝国大学 |
戦前、というよりも、明治維新後に「国家の防衛」のために、陸軍士官幹部養成のための超エリート教育機関があり、陸軍士官学校と呼ばれました。
そして、陸軍士官学校(陸士)は1868年に設立され、同様に海軍士官幹部養成機関である海軍兵学校(海兵)は、陸士の翌年1869年に設立されました。
現在の日本では、東京大学を頂点とする旧帝国大学を軸とする大学が整備されていますが、陸士と海兵は戦前においては、「帝大(東大)より難関」でした。
つまり、大日本帝国の超優等生・スーパーエリートが集まっていたのが陸士と海兵でした。
それらの超優等生があつまる陸士の中で、「陸軍士官学校の歴史上、最高の頭脳を持つ男」と評価されたのが石原莞爾でした。
その石原莞爾は、大日本帝国が第二次世界大戦に正式に参戦する1941年の前年、1940年に「最終戦争論」に関して講演を行いました。
「持久戦争へ堕落」した傭兵中心の欧州:中世欧州の「戦争の請負業」登場

| 戦争名称 | 武力vs他の手段 | 性質 |
| 決戦戦争 | 武力>> 他の手段 | 男性的・陽性 |
| 持久戦争 | 武力<<他の手段 | 女性的・陰性 |
石原莞爾は戦争を、上の表のように「決戦戦争」と「持久戦争」に明確に分類しました。
| 時代 | 戦争の性質 | 兵制 | 政治史の大勢 |
| 古代 | 決戦戦争 | 国民皆兵 | 国家対立から統一へ |
| 中世 | – | – | 宗教支配 |
| 火器使用以後 | 持久戦争 | 傭兵 | 新国家の発展 |
| 仏国革命以後 | 決戦戦争 | 国民皆兵 | 国家主義全盛 |
| 現代:欧州大戦以後 | 持久戦争 | 国民皆兵(全男子) | 国家連合 |
| 未来:最終戦争以後 | 決戦戦争 | 国民皆兵(全国民) | 世界統一 |
そして、石原が語っていた1940年当時から見た「未来」は、最終「決戦戦争」である「最終戦争」が勃発すると予見したのでした。
石原莞爾中世には、ギリシャ、ローマ時代に発達した
軍事的組織が全部崩壊して・・・



騎士の個人的戦闘に
なってしまいました。



一般文化も中世は、見方によって暗黒時代でありますが、
軍事的にも同じことであります。



それが文芸復興の時代に
入ってくる。



文芸復興期には、軍事的にも
大きな革命がありました。



それは、鉄砲が
使われ始めたことです。



先祖代々武勇を誇っていた、
いわゆる名門の騎士も、



町人の鉄砲一発で
やられてしまう。



それで、お侍の一騎討ちの時代は
必然的に崩壊してしまい、



再び昔の戦術が生まれ、これが
社会的に大きな変化を招来したのであります。
過去の戦争の歴史をまとめていた石原の言論は、「鉄砲の登場による絶大な変化」に及びました。



当時は、特に十字軍の影響を受けて
地中海方面やライン方面に商業が非常に発達して、



いわゆる重商主義の時代でありましたから、
金が何より大事で、



兵制は昔の国民皆兵にかえらないで、
ローマ末期の傭兵にかえったのであります。



ところが、新しく発展してきた
国家は皆小さいものですから、



常にたくさんの兵隊を養っては
いられない。



それでスイスなどで兵隊商売、
即ち戦争の請負業ができて、



国家が戦争をしようとしますと、その請負業者から
兵隊を傭ってくるようになりました。



そんな商売の兵隊では、戦争の深刻な本性が
発揮できるはずがありません。



必然的に
持久戦争に堕落したのであります。

