前回は「近衛政権を振り回し続けた松岡洋右〜独ソ戦勃発に揺れた帝国政府・米国敵視と対米協調の狭間・慎重姿勢堅持したルーズベルト大統領〜」の話でした。
ポンポン交代した大日本帝国外相:超強気→温和+おとなしめへ

現代日本政府は、ポンポン総理大臣が代わり、大臣もコロコロ代わる傾向が続いています。
そして、この「ポンポン・コロコロ代わる」傾向は、戦前も同様でした。
大日本帝国の運命を決定した日米戦争を開始する1941年。
この年だけで、「外交の顔」となる外務大臣は、3人も存在しました。
| 日時(1941年) | 内閣 | 外相 |
| 1月1日〜7月22日 | 第二次近衛内閣 | 松岡 洋右 |
| 7月22日〜10月18日 | 第三次近衛内閣 | 豊田 貞次郎 |
| 10月18日〜12月31日 | 東條内閣 | 東郷 茂徳 |
上の表の通り、極めて大事な時代に「ポンポン・コロコロ代わった」日本の外務大臣。
この中で、最も「外相らしい」のはなんと言っても松岡洋右です。

傲岸不遜な性格であり、独断専行の傾向が極めて強かった松岡洋右。
毀誉褒貶ありますが、ある意味では「正に政治家にうってつけの人物」でした。
対米外交の基本路線で、近衛首相と松岡外相は「180度違う」方向を向いていました。
そして、当時の内閣総理大臣は「大臣更迭権」を持たなかったため、
近衛文麿第二次近衛内閣は
総辞職します!



松岡外相に
消えてもらうためです!
近衛文麿は、「松岡更迭」のためだけに、わざわざ内閣総辞職しました。



!!!!!
おのれ・・・



外交は、この豊田に
お任せください!
そして、外相は超強気の松岡洋右から、おとなしい軍人の豊田貞次郎に代わりました。
そして「新顔」の海軍出身の豊田貞次郎が外相になったと思ったら、



近衛内閣は
総辞職します・・・
3ヶ月も経過しないうちに、近衛文麿は内閣を投げ出してしまいました。



大命はこの
東條に降った!



外交は、この東郷に
お任せください!
そして、おとなしい豊田貞次郎から、官僚出身のおとなしめで温和な東郷茂徳に代わりました。
後世の視点から考えると、「何を考えているのか」以前に「喜劇の様相」を呈していました。
実に、実に頼りないものでした。
当時の大日本帝国政府の内閣、大臣の人事、は。
圧倒的安定感の米英独ソ国家元首たち:「意味不明」の東條内閣登場


これに対して、当時の列強は大統領・首相も外相も「完全に不変」でした。
大臣は多少の入れ替えはありましたが、国家のトップである大統領・首相は長年不変だった列強。



このRooseveltは
1933年からUnited Statesの大統領だ!
1941年当時は、様々な国家のトップたちは「超ベテラン」でした。
1941年時点で、各国トップたちがどの程度「トップを続けていたか」を見てみましょう。
世界大恐慌を「ニュー・ディール政策」で乗り切ったルーズベルト大統領は、9年目でした。
「まさか」の三戦を勝ち抜いたルーズベルト大統領は、抜群の安定感を持っていました。



このChurchillは、
1940年から首相だ!
チャーチルは、前年の1940年から首相で2年目でした。
まだ首相としては短めでしたが、この中では最高年齢であり、大ベテランの歴戦の政治家でした。



このHitlerは1933年に
首相に就任し・・・



1934年には大統領権限を
兼ねる総統に就任した!
1933年以来首相であり、1934年には「総統」に就任したヒトラーは、9年目。



このStalinは、
1929年からSoviet最高指導者ですぞ・・・
国家機構が全く異なるソ連に至っては、スターリンが13年目の長期政権でした。
そして、真珠湾奇襲攻撃を実施する1941年12月8日に2ヶ月もない10月18日に、



この東條が、
新たな総理大臣です!
東條英機陸軍大臣が、新たな総理大臣に就任しました。



???



???



???



???
いかに天皇制であり、当時は昭和天皇が国家元首であったとしても、総理大臣は「国家の顔」でした。
それにも関わらず、「国家の顔」が超重要な時期にパッと変わった大日本帝国。
諸外国、特に列強のトップから見たら、「信じられない」を超えて「意味不明」でした。



我が内閣では、
天皇の命令により・・・



対米協調を目指し、
外交を最優先します!
そして、昭和天皇の命令通り、対米外交をやりぬこうを考えていた東條首相。



今更、何を「協調」
するのだ?



大体、お前は、我がUSが
Chinaから撤退を望んでいる・・・



Japanの
陸軍のボスではないか・・・



・・・・・



意味が
分からん・・・
ところが、米国の視点から見たら「意味不明」でした。
そして、実は当初、東條首相は本気で「対米和平」を進めようとしていました。
しかし、すでに米国は「対日戦を決定していた」のでした。

