前回は「ポンポン交代した大日本帝国外相〜超強気→温和+おとなしめへ・圧倒的安定感の米英独ソ国家元首たち・「意味不明」の東條内閣登場〜」の話でした。
世界中が怪訝に感じた東條内閣:張り詰めていた世界と日本

1941年は、欧州で戦火が広がり、6月22日には、独ソ戦が勃発。
大日本帝国は、中国で支那事変(日中戦争)を続けていました。
そして、世界中が動向を見守っていた米国は、「背面援助」に徹していました。
| 国家 | 国家元首 | 就任年 |
| 米国 | Franklin Roosevelt | 1933年 |
| 大英帝国 | Winston Churchill | 1940年 |
| ドイツ帝国 | Adolf Hitler | 1933年 |
| ソビエト連邦 | J.Stalin | 1929年 |
| 大日本帝国 | 東條英機 | 1941年 |
この当時の国家元首たちは、長年国家元首を続け、誰でも知っている人物でした。
比較的経歴が浅かったチャーチル首相は、年齢では最高齢であり、最も安定感を持った政治家でした。

東條英機どうも、皆さん、
東條英機です・・・
そして、真珠湾奇襲攻撃直前の1941年10月18日、突然、東條内閣が成立しました。



???



???



???
当時、日独伊三国同盟を締結していたヒトラー独総統も、内心不思議だったでしょう。
同年に日ソ不可侵条約を締結したばかりで、一応「友邦」だったソ連のスターリン最高指導者も、



???
日本の状況がよく分からなかったに違いないでしょう。



これはJapanの、或いは
Tojoの作戦か?



どういうこと
なのだ・・・



この、世界中が緊迫している
時期に総理大臣が代わる、とは・・・
外相「いつ開戦なのか?」の「不思議過ぎる」国家体制:驚愕した東郷外相


当初、本気で対米交渉を続けていた大日本帝国でしたが、ハル・ノートを受けて、



これは、
もはや・・・



対米戦を開始するしか
道はない・・・
ハル・ノートに関する話を、上記リンクでご紹介しています。
そして、1941年12月1日の御前会議で、正式に対米戦開戦の廟議が決定しました。
この頃の、帝国政府の動向は様々な書籍に記載されています。


そして、1911年生まれであり陸軍の超エリートであった瀬島龍三は、開戦の年に30歳を迎えました。
瀬島龍三の回想録でもある「大東亜戦争の実相」には、様々な当時の動向が記載されています。
頭脳明晰であった瀬島が、様々な書籍から引用しながら、極めて緻密にまとめています。
この「大東亜戦争の実相」には、当時の実話として、以下のような会話が記録されています。
御前会議直前の11月29日の連絡会議において、



仕方が
ないではないか・・・



戦争に勝てるように
外交をやられたい・・・



外交をやる様な時間の
余裕があるのか・・・



まだ余裕は
ある・・・



開戦日を
知らせろ・・・



之を知らなければ
外交は出来ない・・・



それでは
言う・・・



八日だ・・・



未だ余裕があるから、
戦に勝つのに都合が良い様に・・・



外交をやって
呉れ・・・
真珠湾奇襲攻撃の12月8日(日本時間)の、10日を切ってから永野軍令部総長は東郷外相に告げました。
「八日だ」と。
之を聞いた東郷外相の心境・発言の記録はありませんが、驚愕したでしょう。



・・・・・
「たった10日もない」状況で、ようやく外相が「開戦日を聞かされた」事実。
しかも、



開戦日を
知らせろ・・・
このように、強い要請をした上で、ようやく知ることが出来ました。
いかに「秘匿を要する大作戦」であったとしても、米英独ソの国家であれば、考えられない状況でした。
この「不思議」な国家体制のまま、大日本帝国は対米戦を開始しました。
そして、この国家体制のまま、1945年8月15日まで突き進んだのでした。


