終戦(敗戦)前後の大日本帝国〜政府と軍部の大混乱・国立公文書館”終戦”展と昭和天皇の詔書〜|日本「敗戦の歴史」から未来へ1

前回は「極めて意義深い「天皇皇后両陛下の硫黄島訪問」〜死闘を超えた「超絶死闘」だった硫黄島の戦い・「先の大戦」ではなく〜」の話でした。

目次

国立公文書館”終戦”展と昭和天皇の詔書

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

国立公文書館東京本館で開催されている”終戦”展を訪問しました。

この展示では、終戦(敗戦)における詔書などの様々な公文書が展示されています。

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国立公文書館東京本館(新地球未来紀行)

皇居の一角にある国立公文書館は、博物館の中では一般的に「少し縁遠い」感じもあります。

国や地方自治体などが職務上作成する「公式の文書」である「公文書」は、社会の根幹でもあります。

一般的な個人・法人が作成する書類・記録等は、「私文書」となります。

歴史を理解するには、公文書も私文書も重要ですが、公文書は「歴史の骨格」をなします。

第二次世界大戦の際の公文書は重要であり、その中でも「昭和天皇に関する資料」は極めて重要です。

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戦後直後の東京:1945年(Wikipedia)

東京大空襲など、日本の都市という都市が米国によって空襲され続けた1945年。

誰がどう考えても「大日本帝国敗戦は確実」であった中、政府と軍部では、

政府幹部A

もはや
降伏するしかない・・・

大本営幹部X

何を申すか!
本土決戦だ!

「降伏か、本土決戦か」で揉め続け、方針が定まらない状況が続きました。

終戦(敗戦)前後の大日本帝国:政府と軍部の大混乱

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1945年8月6日広島へ原爆投下(Wikipedia)

そして、1945年8月6日に広島、同年同月9日に長崎に、原爆投下。

立て続けに原爆が投下された状況において、「降伏受諾」へ一気に動きました。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

降伏するには、大日本帝国のトップであった昭和天皇が「降伏受諾」を受け入れる必要がありました。

慌ただしい中、「終戦の詔書」の原案の作成が進められました。

当時、内閣書記官長であり、現代の内閣官房長官であった迫水久常が第一案を作成。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

その原案を様々な人物がチェックし、著名な学者であり大東亜省顧問であった安岡正篤も関与しました。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

当時、東京では、「終戦の詔書」をめぐって、政府内での最終調整が急速に進められました。

ポツダム宣言を「受諾する意向」を示したとは言え、

政府幹部A

また原爆(当時は未確定)が
どこかに投下されるかも・・・

さらなる原爆が投下される危機を感じながら、慌ただしく進められたと思われます。

ここで、「戦局」という事実に対して「必ズシモ好転セズ」など、細かな文言が修正されています。

「究極事態」においても、細かな文言の調整が行われているのは、不思議にも思われます。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新地球未来紀行)

とにかく、慌ただしい中作成された「終戦の詔書」は、正式な「清書=浄書」が進められました。

慌ただしすぎる中、浄書を書き直す時間もなかった状況でした。

そして、1945年8月15日、国民に対して昭和天皇から「終戦受諾=終戦詔書」が発せられました。

終戦(敗戦)80年を迎える今年、「当時の状況を直視する姿勢」は重要です。

“終戦”展は、2025年9月15日まで開催です。

「終戦(敗戦)前後の大日本帝国」の理解のために、ぜひ足を運んでみてください。

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