前回は「戦時中日本外交の第一級資料「東郷茂徳外交手記 時代の一面」〜「民主主義の米国外交らしさ」が表れているハルノート全文〜」の話でした。
グルー大使「戦争になるボタンが押された」:「屈服か、戦争か」

日米戦争開戦時、敗戦(終戦)時に外務大臣だった東郷茂徳。

戦後に東郷茂徳は「東郷茂徳外交手記 時代の一面」を著しました。
時代の一面戦後、戦犯として七年の刑に処せられ
服役中、二ヶ月ばかりで、



この手記をしたためて、
間もなく逝去された。



この手記を書き終えるまでは
死ねぬ・・・
当時、東郷茂徳が「こう考えてしたためた」としか思えない手記は、極めて重要な資料です。



強烈な平和の追求と記録の正確さとは、
この書の特色というべきであろう。
服役中の二ヶ月で一気に書き切った東郷茂徳。
そして、その後間もなく死去した東郷茂徳。
東郷は、「最後の全生命エネルギーを本書に注ぎ込んだ」と考えます。
本書には、「ハル・ノート以前」の記録も多数ありますが、「ハル・ノート」直後からご紹介します。



ハル・ノートは
最後通牒に等し。
「時代の一面」では、「ハル・ノートは最後通牒に等し」というタイトルで、以下、東郷の回想が続きます。



米国首脳者の意向は、
これ迄の説明により充分判明しているので、



「ハル」公文の性質につき
さらに説明を加うるの必要もないと思うが、



ここに二、三の事項を
追記しよう。



当時、日本に在ったグルー大使は、
十一月二十六日の公文が送られた時に、





戦争になる「ボタン」が
押された。



と言ったことが
ある。



また、ハル長官は十一月二十六日及
二十七日の特別記者会見で、



交渉の全貌を公表したが、米国新聞は
殆ど一斉に、



「ハル・ノート」を受諾するや、戦争に
訴うるやは、日本に懸かっていると報道した。



即ち、「ハル」公文は、米当局の予想によれば、
交渉げ決裂して戦争になるとして万事を準備した後、



日本側の受諾せざることを
予期したものであって、



日本に全面的屈伏か、
戦争かを選択せしめんとしたものである。
日米戦争開始、敗戦時の時に外相だった東郷茂徳。
東郷茂徳は、米国が「かなり意図的にハルノートを日本に突きつけた」と語っています。
東郷茂徳「ハル・ノートは日本に対する挑戦状」:超強硬姿勢の新聞


確かに、ハル・ノートは、「米国の立場」ばかりで「日本の立場」は無視した内容でした。
「相手国の立場を無視」では、外交は成立しません。



即ち、米国首脳者が、ハル公文送致後も
交渉継続の可能性を認めていた、とは、



全然事実に合致せざることであり、
交渉決裂を予期したことは、



米国側で公表せられた諸資料によって
充分明らかである。



なお、既に述べた、如何にすれば日本をして
手出しせしむるか、との方策を、



公文発送の前日に協議した事実に照らして、
この公文は、日本に対して全面的屈伏か戦争かを強要する。



日本に対して全面的屈伏か戦争か、を強要する
以上の意義、



即ち日本に対する挑戦状を
突きつけた、と見て差し支えなきようである。
東郷茂徳は、ハッキリと「ハルノートは日本に対する挑戦状」と語っています。



少なくとも「タイム・リミット」のない
最後通牒というべきは当然である。
ここで、「タイムリミットがない最後通牒」という解釈は、重要と考えます。



当時においては、前記の米国首脳部の
会議及び言動について、東京では知る所はなかったが、



米国が既に戦争を決意して、日本に承諾不能の
要求を持ち込んだことは、



公文の内容が甚だ過酷であり、殊に従来の交渉案件に
包含せざりし事項まで持ち出したことより、



直ちに推測したが、さらに新聞が米国当局より
一斉に吹き込まれた如き強硬態度をとり、



戦争か、「ハル・ノート」受諾か、と
書き立てたところにより、



更に対日包囲陣の強化によって
右の推測を確認した。
ハル・ノート発行当時、日本の新聞が、かなり大きく騒いだ事実を東郷茂徳は語っています。
この点は、あまり語られることが少ない事実です。



戦争か、「ハル・ノート」受諾か、
どちらか!
当時の新聞社は、ハル・ノートの情報を直ちに入手して、こう騒ぎ立てた、ようです。
更に「米国当局より一斉に吹き込まれた如き強硬態度」という指摘も重要です。
つまり、東郷によると、各新聞社は、



「ハル・ノート」による
屈伏など、とんでもないわ!
このような「対米国超強硬姿勢」を取っていました。
これでは、当時の帝国政府として、「受諾します」とは「到底言えない」状況でした。
東郷が語った、当時の「大日本帝国の世論と空気」。
この指摘は、当時の大日本帝国の立場を考えると、極めて重大と考えます。

