「真珠湾」4日前の超直前に決定した「対米外交打切の事前通告」〜何事も甘かった帝国政府・あらゆる可能性を検討する米英との違い〜|リメンバー・パール・ハーバー54・真珠湾奇襲攻撃

前回は「宣戦布告と外交打切通告の巨大な差〜事前「外交打切通告」への不満・精緻で貴重な第一級資料「大東亜戦争の実相」・瀬島龍三と服部卓四郎〜」の話でした。

目次

「真珠湾」4日前の超直前に決定した「対米外交打切の事前通告」

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左上から時計回りに、山本五十六 連合艦隊司令長官、南雲忠一 第一航空艦隊司令長官、草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長、宇垣纏 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)
山本五十六

第一航空艦隊に
命ずる!

山本五十六

11月26日、真珠湾向けて
出撃せよ!

南雲忠一

承知
致しました。

1941年11月20日、山本五十六連合艦隊司令長官は、南雲長官に「11月26日の出撃命令」を下していました。

山本五十六

日米交渉妥結の際には、
即座に打電するので、引っ返してこい!

山本長官は「出撃後、日米交渉妥結なら引っ返す」ことを厳命しました。

南雲忠一

そんなことは
出来ません!

出撃したら、事実上「戦闘状態」と同等であり、この「途中で引っ返す」のは、いかにも無理でした。

山本五十六

無理、というならば、
今すぐ辞表を出せ!

南雲忠一

・・・・・

かつて、海軍次官の頃までは「知米派・対米避戦派」の急先鋒だった山本長官。

1941年11月末頃、山本長官の真意は不明ですが、「日米交渉妥結の可能性は0%」と考えていたでしょう。

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大東亜戦争の実相(瀬島龍三 著、新地球未来紀行)

陸軍の超エリートであった瀬島龍三が、戦後に書いた「大東亜戦争の実相」。

「大東亜戦争の実相」には、この頃の事情が克明に記載されています。

大東亜戦争の実相

12月4日の大本営政府連絡会議において、
東郷外相は俄然、対米外交打切通告を・・・

大東亜戦争の実相

事前に行うことを
提議しました。

そして、「真珠湾」の4日前という、超直前に「対米外交打切の事前通告」が決定しました。

何事も甘かった帝国政府:あらゆる可能性を検討する米英との違い

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対米戦開始時の大日本帝国政府・大本営大幹部:左上から時計回りに、東條英機 総理大臣兼陸相、東郷茂徳 外務大臣、永野修身軍令部総長、杉山元参謀総長(Wikipedia)

1941年12月4日、という「真珠湾4日前」では、もはや「日米戦争は開始したも同然」の状況でした。

そのなか、ようやく「対米外交打切の事前通告」を決定した帝国政府。

どうにも悠長であり、のんびりした雰囲気があったように感じます。

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戦時中の日米の資源比較(太平洋戦争 敗北の責任 別冊歴史読本)

現代も、日米の国力差は大きいですが、当時の日米の国力差は、現代よりも遥かに大きいものでした。

資源においては、「比較の対象にならない」状況であり、圧倒的存在だった米国。

1941年(昭和16年)当時、日米の資源の差が最も小さい石炭において、米国は「日本の9倍」でした。

さらに、石油に至っては、米国は「日本の528倍」でした。

なんらかの力を比較する場合、意味があるのは、せいぜい20倍程度であると考えます。

「日本の528倍」では、事実上「「日本の無限大倍」と考えて良い状況だった日米の国力差。

帝国政府・大本営は、緻密に対米戦争を準備していたはずでした。

それにも関わらず、「対米外交打切の事前通告」を、やっと「真珠湾」4日前に決定した帝国政府。

本来ならば、機動部隊へ出撃命令を下した1941年11月20日以前に、想定しておくべきでした。

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左上から時計回りに、Franklin Roosevelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、Frank Knox海軍長官、Henry Stimson陸軍長官(Wikipedia)

ハル・ノートが来るまでは、「一縷の希望をかけていた」帝国政府。

その一方で、米国や英国ならば、「あらゆる可能性を検討しておく」姿勢です。

これが、仮に逆の立場であれば、どうであったか。

米国は「対外交打切の事前通告」のタイミング・手法を、事前に検討して、決定していたでしょう。

何事も遅く、何事も甘かったのが当時の帝国政府の姿勢でした。

そして、この点は、現代日本政府もまた、似ている面があると考えます。

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